<日本弥栄の会より転載>
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赤城龍神よ、世に出で給え
6月7日はとても良い天気でした。
この日は、『岡本天明伝』著者の黒川柚月さんと一緒に、榛名・赤城をまわってきました。
現在制作中の「岡本天明の歩んだ御神業の軌跡を追う」DVDのロケのためです。
日月神示が降りた初年度にあたる昭和19年は、岡本天明さんやその関係者たちが「御神業」としていろいろと動いていた時期です。
御神業の経綸地として「榛名」「甲斐」「諏訪・マアガタ(麻賀多)」といった地名が神示の中にたびたび出て来ますが、天明さんたちがその時期に何を行っていたのかということを知らないと、ただこれを読んだだけではわかりません。
今回は、天明さんや矢野シンといった、日月神示関係者の間では有名な人たちも訪れたという榛名神社や榛名湖を訪れ、実際にその足跡を追いながら、黒川さんに解説して頂きました。
たとえば、『下つ巻』第3帖にある、
「この神のまことの姿見せてやるつもりでありたが、人に見せると、びっくりして気を失うもしれんから、石に彫らせて見せておいたのに、まだ気づかんから、木の型をやったであろうがな、それが神のある活動の時の姿であるぞ」
という部分などは、これだけでは何のことやらわからないでしょう。
石に彫らせて見せておいた・・・というのは、榛名神社にある○○○岩のことだったとは、私も黒川さんの話を聞いて初めて知りました。
また、同第1帖には、
「蛇ヶ岳(じゃがたけ)は昔から神が隠しておりた大切の山ざから、人の登らぬようにして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ」
とあります。
全国に“蛇ヶ岳”と名のつく山はたくさんあるようで、これがどの蛇ヶ岳を指すものかは、私もわかりませんでした。
黒川さんが丹念に取材を重ね、当時の関係者から証言を取ってくださったお蔭で、それが榛名の蛇ヶ岳であることがわかりました。
その山頂に登ったところ、「天之日津久神」を奉斎したお社の跡も確認できました。
榛名神業は、神示にある「富士から三十里より離れたところに、仮に祀りておいてくれよ」という一節と関係があるようです。
昭和19年といえば戦争中であり、まだ道路事情もよくない頃です。
今ですと、榛名神社から榛名湖までは車で10分もあれば到着しますが、昔はこの道路さえなく、旧道を歩いて、峠を越えて行ったのです。
そこからさらに、蛇ヶ岳に登ったようです。
本当に、昔の人はすごいですね。
(詳しくは、『玉響』4月号〜6月号に掲載した黒川柚月さんとの対談記事を、合わせてお読みください)
日月神示には具体的には出て来ませんが、赤城山もじつは天明さんと縁があります。
日月神示というよりも、大本の時代から縁が深いところなのです。
赤城山は、裾野の広さ(長さ)では日本一なのだそうです。
その裾野から算出すると、大昔は富士山より大きかったのではないかと見られています。赤城山はカルデラ火山で、大沼はカルデラ湖です。
榛名山もカルデラ火山で、榛名湖はカルデラ湖です。
その昔、このあたりでは相当な規模の火山活動と、大噴火があったのでしょう。
榛名山、赤城山に妙義山を加えて、上毛三山(じょうもうさんざん)と呼ばれます。
これら三つの山は霊的に言っても一つととらえるものだそうで、この上毛三山に棲み給うのが大龍神の赤城龍神です。
赤城龍神は、関東を守護する御役であると黒川さんから伺いました。
今、地震や原発、“放射能汚染”などで、関東には人が住めなくなるとか無数の人間が死ぬなどと放言したり、果ては日本はもうダメだから海外に逃げた方がいいなどと考える輩が大勢いますが、黒川さんもそういう人たちに対して憤りを感じているようでした。
こんな時代であればこそ、赤城龍神の神威を上げ、十全の力を発揮して関東を守護して頂きながら、その加勢を得て私自身も努力すべきだと思います。
「ミロクの世」とは、神人一体となって創り上げるものだからです。
このDVDは7月末にリリースされる予定ですが、こうしたタイミングでDVDが出ることにも、ちゃんと意味があるようです。
興味ある方はぜひ、このDVDを見て頂いて、実際にご自身で、榛名・赤城・妙義の上毛三山をまわられるとよいと思います。
また、小会では10月に、これらの聖地・神社をまわるツアーを開催する予定で、現在調整を進めています。
このツアーでは、赤城龍神に世に現れて頂くために、参加者の皆さんとともに、然るべき場所で「ひふみ祝詞」を奏上したいと考えています。