<時事ドットコムより転載>
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団結力の勝利=日本バレー復活へ一歩−バレーボール〔五輪・ハイライト〕
「団結力」。3年半前、全日本を率いることになった真鍋監督はまず、選手にこれを求めた。「団結力で五輪のメダルを取ろう」とも。目標達成。「選手がよくやってくれた。ほんと感激しています(勝利の瞬間)頭が真っ白になった」と顔をくしゃくしゃにした。
チームづくりも団結を重視した。女子バレーの監督といえば、1964年東京五輪の大松博文監督以降、アテネ、北京で指揮を執った柳本晶一監督まで「俺についてこい」タイプが占めていた。
だが、真鍋監督は違った。コーチ分業制を敷き、ブロック、サーブ、戦術・戦略など部門ごとに担当コーチを置き、自身はまとめ役に徹した。就任当初はベテランの竹下をコーチ兼任とし、よりチームの結束を図った。
練習で選手を怒鳴ることはない。むしろ、話し合うことで意欲を引き出した。主軸の木村には「おまえがエースだ」と言い続けた。「日本がメダルを取るためには、おまえが世界一の選手にならないといけない」と。
バレーボールほどデータが試合に反映される競技もない。日本バレーボール協会専属のアナリストも常時、帯同させ、数字の裏付けをもって選手を指導した。もちろん、真鍋監督は「最後はハートの勝負」と言い切る。
今大会は、通信事情の関係でコートサイドで情報端末が使えなかった。だが、既にデータは各選手の頭に刷り込まれていたから、大きな支障はなかった。この日も、サーブ担当コーチに鍛えられた選手たちが精度の高いサーブで韓国のレシーブを崩し、ブロックで圧力をかけ、相手エース金軟景の威力を半減させた。
日本をたつ直前、真鍋監督は師と仰いでいた故松平康隆さんの墓前を選手と共に訪れた。「メダル獲得」の約束を果たし、日本バレー復活の端緒を得た。「一致団結してのメダルです」と実感を込め、真鍋監督は選手一人一人をねぎらった。(時事)(2012/08/11-23:25)
<転載終わり>
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日本のバレーボール女子チームは韓国を3-0で破り、3位になったそうです。東京オリンピックの頃は、東洋の魔女と呼ばれ、ソ連(当時)を下し金メダルに輝きましたが、1984年のロサンゼルスオリンピックの銅メダルを最後に、メダルからは遠ざかっていましたが、28年ぶりにメダルに手が届きました。真鍋監督の団結を重視した指導が実ったようです。おめでとうございます。