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Channel: 日月神示の研究と実践
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「開運の秘訣は食にあり」 水野南北

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中矢代表の著書「日本霊能者伝」から引用します。

『江戸時代中期の頃に生きた水野南北は、日本一の観相家といわれ、「節食開運説」を唱えた人物である。いわゆる霊能者と呼ばれる類ではないが、その人物史を見てみると、霊妙不可思議な出来事に何度も遭遇している。
  まだ幼児の時に両親を失って孤児となり、鍛冶屋をしていた叔父に引き取られるが、性格はすさみ、10歳の頃から飲酒を始め、喧嘩ばかりしていたという。そして18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、入牢するに至っている。
 だが、牢内での生活を通じて南北は、人相について興味深い事実を発見する。罪人として牢の中にいる人の相と、普通に娑婆(しゃば)生活を送っている人の相の間に、明らかな違いがあることに気づくのである。これがきっかけとなり、南北は観相家というものに関心を持つようになった。
  出牢後、南北はさっそく、当時大阪で名高かった人相見を訪れ、自分の相を見てもらった。するとなんと、「剣難の相であと1年の命」と宣告されてしまった。愕然とした南北が、助かる方法はあるかと問うたところ、その唯一の方法は出家であると言われた。
  南北は天下稀に見るほどの悪相・凶相の持ち主だったのである。
  そこで禅寺を訪れて入門を請うが、住職は南北の悪人面を見、断ろうと思い、「向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたなら、入門を許そう」と告げた。
  助かりたい一心の南北は、この条件を忠実に実行に移す。港湾労働者として従事しながら、1年間、麦と大豆だけの食事を実践するのである。
  こうして1年が経過し、約束通りのことを実行した南北は、禅寺の住職のところへ行く途中に、再び例の人相見を訪ねてみた。と、この人相見、南北の顔を見るなり驚いて、「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだに違いない」と言った。南北が、食事を変えて1年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、彼の凶相を変えてしまった、というのである。
  これで禅寺に行く必要のなくなった南北は、自分も観相家の道を志そうと決意し、諸国遍歴の旅に出た。水野南北、21歳の時である。』(水野南北「日本霊能者伝」中矢伸一氏著)


 凶相であっても、粗食と少食によって運が開けてくると言われています。日月神示でも同じようにあります。


<水野南北の教え>

■食がその人の分限、分より少ない人は顔かたちが少々不細工といっても吉である。それ相応の幸運の天分がある上に短命ということもなく、高齢になっても、なお吉がある。

■食がその人の分限、分より多いと言う人は、どれほど顔かたちがすぐれているといっても、いろいろのことすべてが備わるということもなく、その備わるべきものも、もつれることが多い。その上、一生を通して気苦労も絶えることがなく、高齢になってから凶があるだろう。

■食がその人の分限、ほどほどに応じている者は、吉凶とも表に表れることもほどほどであって、さしたる善悪は無い。

■ところが、いつも大飲大食をする人は、いかように顔かたちがうるわしかろうと、身分、地位、分際に不安定が生じ、確立はむずかしく安定を得難い。貧しい者はますます困窮していく。さらにそれ相応の福ある人、豊かな人はやがて家を損するようになる。

■いつもいつも分限を超えて美味贅沢を好む人は、どのように顔かたちが立派であっても非常な凶である。

■常々に粗食をする者は、どのようにこの上ない悪人であれ、みずぼらしい相であっても、幸福と長寿をおさめる。 

■粗食だからといって、大いに食べるのは大凶である。

■一方、小食を日常としなければならない厳しい定めのある人が、たとえ賤しい悪相であったとしても、相当の 幸運の天分に恵まれ長寿を全うし、ほとんどのことはおおかたうまくいく。ゆえに高齢になっても吉である。外見が弱々しそうに見えることはあっても、病の床に就くということはない。

■手当たり次第なんでもかんでもやたらと食う人は常に精神状態が穏やかでない。色々のことが乱れ調和しないことばかりになる。

■少ない食というものは婦人、女性の食である。だからたいそうに悪いことはない。

 

 


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