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Channel: 日月神示の研究と実践
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「開運の秘訣は食にあり」   日本一の観相家 水野南北

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■ 日本一の観相家といわれた水野南北

 日月神示に出合った2008年くらいから、中矢代表の著書を次々と読みました。絶版になっているものは、アマゾンで探したり、東京の神保町や高田馬場の古本屋街を探したりもしました。60冊以上は読みました。どれも大変興味深いものでしたが、「日本霊能者伝」の中の水野南北について書かれた部分が特に印象に残りました。以下、ご紹介します。

『江戸時代中期の頃に生きた水野南北は、日本一の観相家といわれ、「節食開運説」を唱えた人物である。いわゆる霊能者と呼ばれる類ではないが、その人物史を見てみると、霊妙不可思議な出来事に何度も遭遇している。

まだ幼児の時に両親を失って孤児となり、鍛冶屋をしていた叔父に引き取られるが、性格はすさみ、10歳の頃から飲酒を始め、喧嘩ばかりしていたという。

そして18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、入牢するに至っている。だが、牢内での生活を通じて南北は、人相について興味深い事実を発見する。罪人として牢の中にいる人の相と、普通に娑婆(しゃば)生活を送っている人の相の間に、明らかな違いがあることに気づくのである。これがきっかけとなり、南北は観相家というものに関心を持つようになった。

 出牢後、南北はさっそく、当時大阪で名高かった人相見を訪れ、自分の相を見てもらった。するとなんと、「剣難の相であと1年の命」と宣告されてしまった。愕然とした南北が、助かる方法はあるかと問うたところ、その唯一の方法は出家であると言われた。

 南北は天下稀に見るほどの悪相・凶相の持ち主だったのである。そこで禅寺を訪れて入門を請うが、住職は南北の悪人面を見、断ろうと思い、「向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたなら、入門を許そう」と告げた。助かりたい一心の南北は、この条件を忠実に実行に移す。港湾労働者として従事しながら、1年間、麦と大豆だけの食事を実践するのである。

 こうして1年が経過し、約束通りのことを実行した南北は、禅寺の住職のところへ行く途中に、再び例の人相見を訪ねてみた。と、この人相見、南北の顔を見るなり驚いて、「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだに違いない」と言った。南北が、食事を変えて1年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、彼の凶相を変えてしまった、というのである。

 これで禅寺に行く必要のなくなった南北は、自分も観相家の道を志そうと決意し、諸国遍歴の旅に出た。水野南北、21歳の時である。』

 水野南北の体験から、凶相であっても、粗食と少食によって運が開けてくることが分ります。

 

■ 開運の秘訣とは?

 水野南北は『相法修身録』で、以下のことを述べています。

○  人間の生命の根本は食である。たとえどのような良薬をもちいても、食べなければ生命をたもつことはできない。だから人にとって本当の良薬は食である。

○  食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。古人の言葉に「天に禄なき人は生じず、地に根なき草は生えず」ということばがあるが、その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。みだりにむさぼり食う者は、天の戒律を破る者である。生命の存在するところに必ず食べ物があり、逆にいえば食べ物あるところに必ず生命が発生する。食べ物は生命の源であり、生命は食べ物に随うものである。そして人間の生涯の吉凶は、ことごとく食によって決まるといっても過言ではない。

○  三度の食事が粗食で少量の者は、悪相・貧相であっても金持ちになり、子孫に財産や名誉をのこすであろう。いつもは粗食だが時々大食するものは大凶である。

○  いつも身のほどに不相応の美食をしている者は、たとえ人相は吉であっても運勢は凶である。その美食癖をあらためなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まして貧乏人の美食家は「働けど働けどわが暮し楽にならず」で、一生苦労する。

○  大いに成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、酒肉をたのしみ、自分の本業に精を出さない者には成功・発展はない。

○  子供の相が貧相で悪くても、その親が食に慎しみをもつならば、みだりに貧相悪相というべきではない。子供は、その親のなすところによって悪相から善相に一変することがある。子に対して親は本であるから、その本が正しければ子もおのずから正しくなる道理である。もっとも、過去世の因縁を解いてやるのは親の務めであり、親が解けないほどの因縁の場合は、子が成長して自ら解くほかない。

○  悪因を解き善因を積むには、陰徳を積むほかはない。世に慈善事業や放生をして陰徳を積んだつもりになっている者があるが、これらはみな人に知られる行為であり、真の「陰徳」とはいえない。

○  千日千夜祈ってもあなたに実がなければ神明はどこにもおられない。また実を持って祈ろうとのぞむなら自分の命を神に献じ奉ることだ。食は自分の命を養うもとである、これを献じ奉るということはすなわち自分の命を献ずるのと同じである。

 上記の水野南北の説いている内容は、日月神示でいわれている内容ととても似ていることが分ります。五穀・野菜を腹八分が良いということです。

 運を良くするために、風水を取り入れたり、方位を取ったり、開運グッズを買い求める人は多いですが、大食や美食をしていたのであれば、まったく意味がないことになります。誰もが良くなりたいと思っていますが、自分だけ良くなりたいというのは片手落ちだろうと思います。植物も動物も家族、会社の人、近隣の人も共に良くなることが、結局は自分の幸せにつながるのだと思います。

 ハンバーグや唐揚げ、カツ丼を食べながら説く平和は、あくまで人間だけの平和です。動物を殺して食べている限り、世界に平和が訪れることはないのではないでしょうか。結局いつまで経っても、戦争や紛争はなくなりませんね。

 食は最も身近なことですが、それが最も大事であることを悟る人は少ないのが現実です。このことは今までの人生で、知り得た知識の中で、最も重要と思うものの一つです。

 

 


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