<共同体社会と人類婚姻史より転載>
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【人類婚姻史を構造化する】10〜日本における恋愛観念,一対婚の広がり〜
これまでシリーズにて,世界の婚姻制度の歴史的変遷を見てきました。
その中で,人類の婚姻様式を規定するのは,「皆の最大期待⇒集団や社会の統合軸」であることを軸に人類婚姻史を構造化してきました。
その結果,さまざまな外圧に適応するために,婚姻制度もみんなの期待により変化している事を確認しました。
<これまでのシリーズ1)〜9)>
「1」人類婚姻史を構造化する プロローグ」
「2」極限時代の婚姻様式は男ボスを中心として首雄集中婚ではない?!」
「3」極限時代の婚姻様式「チャネリングセックス」とは?!」
「4」採取生産時代の婚姻と近親婚のタブー」
「5」採取部族の婚姻の変化〜交叉婚:単位集団からの集団外の充足対象の拡大」
「6」採取部族の婚姻の変化〜性の需要アンバランスが集団婚を解体に導く〜」
「7」北方狩猟部族の勇士婚〜洞窟から出た人類が集団に期待したもの〜」
「8」略奪婚から私有婚」
「9」ルネッサンスから近代の婚姻様式:私権闘争以降,略奪婚⇒固定一対婚から,自由恋愛へ」
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欧米社会の婚姻史(これまでの復習)
略奪闘争の嵐に巻き込まれて,欧米〜中東〜中国とほとんどの世界では,氏族集団が徹底的に破壊されて略奪集団しか生き残っていなくなっていました。婚姻制度も略奪婚に変化しましたが,集団安定の為に固定一対婚に移行していきます。
略奪共認の圧力(=略奪を共認して,自らも略奪に参加するしかない)の中で,社会は私権確保が最大の期待となってきます。
そして私権獲得の大きなエンジンとなったのが「恋愛」観念です。
「恋愛」は自由な性市場の拡大を目指します。その結果,欧米文化は略奪(植民地化〜帝国主義化〜経済支配)し続けます。
そして,ほとんどの世界では,「恋愛」の自由の下で「固定一対婚」が普及しました。
日本の江戸時代までの婚姻制はどうだったのか
唯一この欧米略奪文化から隔離されていたのが,鎖国をしていた「日本」でした。
島国の日本の江戸時代では,8割の平民である農民は,全面的な略奪闘争の波を受けることがなかったので,昔からの村落共同体(≒母系制)を維持していました。
※現代でも,早乙女たちは太鼓に合わせて田植え歌を歌いながら苗を植えてゆく」祭りが残っています。
写真は,山野草、植物めぐり『新庄の大花田植え’09−5』よりお借りしました。
※夏の初めのネズミ村、今日も田植えで忙しい、 グルグル、グルグル、水車、回して水をかえこんで 馬にマンガ引っ張らせ、ザブザブ、ザブザブ、代掻いて、苗を運んで投げ込んで、ずらりと並んだ早乙女が、節ものどかな田植え唄、一反植えるとおばさんが、持てくるお茶とおにぎりでみんな揃って中休み⇒田植えは村人全員で行う一大事業です。
〜「懐かし通り 郷愁倶楽部」さんからお借りしました〜
支配者層は,緩やかな支配方法で,村落共同体に自治を認めていました。惣村(=村落共同体)は,共有の神社や水路,田植えや稲刈りの順番制などの生産ルールを共認されており,村人の生活基盤そのものであった。
多くの蓄財が村の共有所有で,子供たちも村の子供でした。(≒母系性文化)
当然に,若衆宿などの婚姻も村のルールに従って結婚していました。結婚により,嫁入りした女性は,労働力として期待され,村の跡継ぎとなる子供たちの出産,育成を期待されました。
当時の「結婚」は,好き嫌いの感情ではなく,期待される役割(≒生活)その物だったのです。
また,「性」は解放的で,貞操観念がなく婚姻前の性交も問題ありません。婚姻後も主人以外との性交も,祭りなど夜這いによる性交があり,実質的に村の「性」は皆の共有でした。
産まれてきた子供は「村の子供」なので,誰が父親かなどは問題ないという,おおらかな社会です。
当時の皆の期待は,生産力である惣村(=村落共同体)の維持でした。その為に村の結束の維持として「性」の楽しみの共有は大切でした。また,女性は労働力としての期待と子孫の出産〜子育として大きな期待を受けて「結婚」していました。
註)江戸時代までの婚姻制は,身分により2層が存在して居た。
?2割程度の支配層(武士など)は,大陸の略奪文化の影響で儒教文化による厳格な一対婚の文化でした。
?8割の平民は,平安の時代以前からず〜と夜這い婚文化です。つまり,一対婚形態を取りながらも,「性」に関しては村の共有で,おおらかな性文化を楽しんでいた。
明治時代の開国と共に,家族,婚姻の制度を改正
於鹿鳴館貴婦人慈善会之図
一対婚+恋愛文化の欧米人達は,日本の夜這い婚にビックリします。と言うのも,キリスト教は生涯一人しか居ないという「一対婚」が建前です。(不倫文化も有るのですが,それは罪なる秘め事なのです)だから,日本における村内のおおらかな性の共有文化を,「野蛮文化」と非難します。
これに大慌てしたのが,時の明治政府です。
明治政府の最大の政策が,植民地化を避ける為に,鹿鳴館などの欧米文化を背伸びして真似ながら,日本も文明国化して欧米と対等に成るよう努力していたところです。
そして憲法を作り,新たな家族制度,婚姻制度を改正します。
・婚姻制度は,「一対婚制度」です。これまでの若集宿,娘宿を強制的に廃止し,さらに夜這い婚の禁止令を何度も出します。
また市場社会が急速に広がり農村が貧困に成った結果,多くの娘たちは都市に働きに出ました。明治政府の規制と,実質的に村に娘がいなくなったので急速に夜這い婚(≒村での「性」共有)の文化は衰退しました。
註)一部の田舎では,夜這い文化は戦後まで残っていたとの話もあります。
・憲法にて「家族制度」は,家長制が採用されます。当初は最先端のフランスの憲法(家族形態すら無くして全くバラバラの個人)を採用しようとしました(フランス学者ボアソナード)。
しかし,強い反対に合い,支配者層の儒教(=武士)文化に近いドイツ形式の「家長制」が採用されました。
妻は夫の支配下にあり,子供の婚姻は父親の許可が必要といった内容です。明治の頑固親父,亭主関白の元となった文化かもしれません。
しかし,ここで注目すべきは,それまでの農村は「運命共同体」だったのですが消滅してしまい,「家族」がそれに代わる「運命共同体」となったと言うことです。市場化の波に飲まれて,村落からは娘だけでなく働き手の多くの若者も都会に流出してしまい,「惣村」(=運命共同体)が崩壊していったのです。
大衆の期待は,村の共同体が崩壊して不安定な経済状況下において,共同体「家族」や親戚一族だけでは不安定です。だから,流出された若者は都会で「家族」を作るだけでなく,擬似の共同体として町会など(=地域コミュニティー)を作ったのです。
そして結婚も,この地域コミュニケーション内の関係ネットワークで,お互いの家同士の家長が決める相手との見合がなされ結婚が行われたのです。
大正ロマンでは,「自由恋愛」が憧れに
※竹久夢二は岡山県に生まれ、新聞・雑誌の挿絵(さしえ)を描いて世に出ました。夢二が描く、郷愁(きょうしゅう)と憧憬(しょうけい)を感じさせる、愁い(うれい)を帯びた女性像は『夢二式美人』と呼ばれ、絶大な人気を誇りました。
日本は欧米に追いつくべく,日清日露戦争の勝利,第一次世界大戦も勝利側に付いて,国力も急上昇中した。大衆は欧米に倣って,一気に豊かさや自由に開かれて,その可能性を求めだしたのが「大正ロマン」です。
文化人は欧米文化をいち早く取り入れて欧米文化の普及させ,男女同権〜恋愛文化が金持ち層に広がり憧れと成っていった。(夏目漱石 竹久夢二 平塚らいてう 谷崎潤一郎 志賀直哉 北原白秋など,昔の教科書の登場人物たち)
日本でも市場社会が拡大し始め,性市場の開放も皆の期待となり始めました。しかし,まだまだ現実は家長の決める相手との見合〜結婚でした。が,小説などで「恋愛」が憧れとして,観念的に定着し始めた時代です。
大正ロマンが急停止して,禁欲的な「良妻賢母」に
※良妻賢母 「ささやかな日々」高橋まゆみさんの人形http://suzu-na.cocolog-nifty.com/blog/写真をお借りしました。
大衆の恋愛文化が普及するには,もう少し時間が掛かります。
江戸時代の,おおらかな夜這い婚の「性」文化は,明治維新後の欧米化政策で,「一対婚」制度と「家長制度」で欧米文化に押し込められました。その後,日清・日露等の戦勝で,好景気の日本では「大正ロマン」が花咲き,欧米の「恋愛」文化を文化人や金持ち層が取り入れ始めました。
そこに「恋愛文化」の普及に冷や水を掛けたのが,本格的な戦争体制です。
日本は欧米(特にアメリカ)に追い詰められて,第二次世界大戦・太平洋戦争が始まります。
軍国主義の国家体制の中で人手不足になり,国力増強として「産めよ増やせよ」と出産が賞賛されたりもしました。しかし,その後戦況が悪化していく中で,多くの人が戦死し食料の確保に窮する状況になり,国民の期待は,どう生き延びるかと言う限界でした。
軍部は,生存を掛けた戦いだと非常事態宣言して,天皇崇拝〜厳格主義に走ります。
また儒教的文化の教育勅語の普及,良妻賢母の家庭での妻の役割に型がはめられます。
太平洋戦争の敗戦後は,アメリカ文化が多量に流入。
「奥様は魔女」アメリカのファミリードラマ。一戸建ての住まいで各自に個室,車,リッチなキッチン,ダイニングルームなど洋風の「豊かな生活」を憧れた
日本国憲法が策定されて「民主主義」「自由」「平等」「博愛」などの,アメリカの観念が多量に流入してきます。「家長制度」が廃止され,婚姻は二人の自由となります。
日本経済が奇跡の復興〜経済成長の中,「自由」「市場」に可能性がどんどん開かれていくので,若者中心に社会は,その可能性に向って疾走します。
戦前の結婚は,結婚は親が決めた見合い相手と結婚するのが当たり前でした。(=家長の許可無しに法的には結婚は出来なかった)
そして戦前の儒教文化や「家長制度」を引きずる大正の頑固親父を「封建的」と,踏み越えて「自由恋愛」を切り開いたのが,団塊の世代(現在の60歳前後)です。
※かぐや姫が歌い大ヒットを記録した「神田川」。人形劇サークルに所属する大学生とひとりの少女との「同棲生活」を描く内容が映画化された。
当時の若者の期待は,開かれてゆく市場社会の可能性を,勝ち取りたいという思いです。そして,その障害を取り払うことが社会改革と信じていました。婚姻でも「自由」な「恋愛」を謳歌する「権利」を有すると考えて,以降は「恋愛」文化に傾斜していきます。
「見合い結婚」<「恋愛結婚」
※新婚さんいらっしゃい 1971年から続く長寿番組。当初は,必ず「見合ですか? 恋愛ですか?」と質問していた。
そして,1967年にはその数が 見合結婚<恋愛結婚 となります。それ以降は,見合結婚は激減して恋愛至上主義となります。
今でも結婚式では,「○○家」と「△△家」と書かれて,家と家の結婚式の形態を残したりしていますが,昔の結婚は個人の結婚ではなく集団の物であったのです。集団の責任において,期待すべき若者に結婚をさせる文化でした。
1967年を境に,結婚は若者二人の「個人」の「自由」における「恋愛」でなされるように変わったのです。
■集団の結婚へ期待の下で集団が決定権 ⇒ 個人の自由な恋愛がありその後に結婚する
集団から切り離された結婚は,個人の自由となって恋愛が前提となったのですが,その実態は異性の獲得合戦です。観念で幻想化していますが,その実態は私権獲得競争なのです。つまり美人・男前獲得競争と金持ち相手の獲得競争です。日本はバブル期に,この私権獲得競争の男女関係が全開します。
しかしその後,物充足時代に育った私権意識の衰弱した若者達は,「恋愛」,「結婚」さらには,「性」さえも見向きをしないようにな男女が増えて,晩婚,非婚,セックスレスが急増して現在に至ります。
◆こうしてみると,日本では江戸時代までは「集団」を中心とした皆の期待による役割としての「婚姻」であったのが,明治〜大正〜昭和〜平成と欧米文化の輸入で,「恋愛」にて「個人」が「自由」結婚を決める形態に,急変してきた事が分かります。
そして,現在の男女関係の混迷です。
◆現代日本の男女関係をどう捉えればよいのでしょうか?
世界の婚姻歴史から見ると,どのように見えるのでしょうか?
さらに,今後の男女関係は,どうなるべきなのでしょうか?
次の最終回に,扱ってみたいと思います。御期待ください。
<転載終わり>
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半年ほど前にこのブログで、昔の日本は、夜這いが普通にある社会だったと書いたところ、かなりの反響がありました。私たちは一夫一婦制が普通だと考えていますし、今後もそれが変わるということはあり得ないと思っています。私もそう思います。ところが、昔の日本では夜這いは普通にあったそうですし、夫婦間以外の交渉も大目に見られていたようです。今では不倫ということになりますが、昔の人はおおらかだったということです。おおらかというと聞こえはいいですが、現代の思想から言えば、貞操観念が無いということになります。
性を共有するという概念は今の私たちには理解できません。実際に夜這いや、夫婦以外の交渉が大目に見られている社会を経験してみないと分からないと思います。
また、性の問題を従来とは180度違った角度で書いてある著書が、「ガイアの法則?」です。これもなかなか理解できない内容です。
今の世の中は、性の問題はタブーなので、皆で話し合うということはほとんどありません。ひふみ仲間とも、性の問題は語り合ったことはありませんし、そもそもあまり関心がありません。ただ、この記事などを読んだり、「ガイアの法則?」や「タオコード」などを読むと、性の問題というのは、人間にとって大事な問題ではないかと思うようになりました。
日月神示にも性のことは書かれていませんので、あまり参考になりませんが、「神界の乱れは、色からぞ」とありますので、やはり夫婦間以外の交渉はよくないと取れるのかもしれません。(普通は当然不倫になります) 神様にとっても、性というのはタブーということなのでしょうか。よく分かりません。