キリスト教の信者の中には、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいる人は少なくありません。
「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアの方舟に入る日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう」とあるので、イエスの再臨の時期は、縄文時代のような平和な時ではなく、人類が行き詰まった時ではないかと思います。そう考えると、今の時代にイエス・キリストが再び来られることも、あり得るのではないかと考えられます。現在でも、世界の多くのキリスト教の信者は、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいるのです。
聖書にはイエス・キリストの再臨を予言するような聖句がありますので、ご紹介します。
「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救いを与えられるのである(へブル人への手紙第9章28節)」
「こうして、あなたがたは恵みの賜物たまものにいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう(コリント人への第一の手紙第1章7-8節)」
「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう(使徒行伝第1章10-11節)」。
このように聖書には、キリストの再臨を予言していると思われる聖句が複数あります。イエス・キリストとまったく同じ方が再度生まれて来るのか、イエス・キリストと同じような魂を持った方が再臨されるのかは分かりません。また再臨のキリストは、イスラエルにお生まれになるのかも聖書には書かれていません。従って、日本にキリストの魂を持った方が、生まれる可能性も否定はできないと思います。