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江戸時代の意外な「食材」事情

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<こだわりアカデミーより転載>

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江戸時代の意外な「食材」事情

──江戸時代と現代の食文化の違いというと、どのあたりなのでしょうか?

松下 もちろん違いはいくつかありますが、実は基本的には現在の和食とそう変らないのです。

歌川豊国作「豆腐田楽を作る美人」享和頃(1801−1803)<写真提供:(財)味の素 食の文化センター> 歌川豊国作「豆腐田楽を作る美人」享和頃(1801−1803)<写真提供:(財)味の素 食の文化センター>

たん白質の給源は主に大豆で、豆腐やみそは欠かせないものでしたが、その一方で肉類もかなり食べられていたようです。確かに、仏教の影響から4つ足のものを敬遠する風潮が浸透していたことは事実なのですが、陰ではね…。

大和郡山藩2代目藩主の柳沢信鴻が、隠居後の1773年から13年にわたり書き続けた「宴遊日記」に記されている献立の中にも、肉を使った煮物などが出てきます。

──では、魚はどうなのでしょうか?

松下 現在とさほど変らないと捉えていただいて結構です。タイはタイ、イワシはイワシのままですから(笑)。調理法も、フライのような洋食はもちろんありませんでしたが、それ以外は、煮るか焼くか、やはり今とあまり変らないのです。

しかし面白いのが、現在と江戸時代では、魚の位付けが随分違うということです。今、マグロやフグといえば、上中下の位を付けるとすると間違いなく上の魚ですが、江戸時代はイワシと同じ下の位とされていたのです。ましてやトロなんて、脂分が嫌われたようで全然人気がなかったのです。

──それほどに嗜好が違うとは意外です。

とすると、野菜も現在とあまり変らないと考えて良いのですか?

松下 いえいえ、呼び方からして違います。当時、野菜は青物と呼ばれており、その種類なども現在とは随分違っていました。

例えば、「料理物語」の中では、タンポポやボタンの花、ハコベなども野菜とされています。現在、山菜や野草とされているものが、江戸の料理書では数多く野菜類として紹介されているのです。

──タンポポが野菜ですか?

松下 そうなんですよ!(笑)幕末の「年中番菜録」を見ても、江戸時代初期と比べて花や葉の利用がやや少なくなり、サツマイモとカボチャが加わったくらいで、基本的にはそれほど変っていません。当時は、野菜の種類がとても少なかったようですね。

──では、現在のような野菜のラインナップは明治以降ということですか?

松下 ええ。今や私たちの食生活に欠かせないハクサイ、タマネギ、キャベツ、ピーマン、レタス、アスパラなどは、明治以降に外国から持ち込まれたもので、江戸時代にはありませんでした。

──現在ポピュラーな野菜の多くが、明治以降もしくは戦後日本にやってきたものなのですね。

とすると江戸時代の農民は、米作が主で、野菜は全然作っていなかったのでしょうか?

松下 そんなことはありませんが、菜っぱ類に関していえば、野生種がとても豊富で、あえて栽培しなくても困らなかったようです。一方、野菜の中でも比較的空腹を満たすことができるニンジンやダイコン、サトイモなどの根菜類、キュウリやナスビ、トウガンなどの果菜類等は、飢饉に備えた食料として栽培が重視されていたようです。

──ところでそのお味は?

松下 思い出してみていただきたいのですが、戦後すぐの頃の野菜と現在の野菜って、随分味が違うと思いませんか?

──確かに、キュウリはもっと苦かったし、ナスはもっと紫の色が濃かった。そしてホウレンソウも、もっとアクが強かったですね。

松下 でしょう? 戦後と現在でも違うくらいですから、江戸時代とはかなりの違いがあります。

というのも、明治以降栽培技術が飛躍的に進歩しましたし、品種改良も繰り返し行なわれましたから、野菜自体の味、形、色等が江戸時代とは大分違ってきているのです。

それだけではありません。例えば今、お店に並んでいるニンジンには、たいがい葉が付いていませんよね? ところが、1697年に書かれた「本朝食鑑」を見ると、ニンジンは「人参菜」と記されており、8、9月には葉や茎を茹でて食べ、冬から春にかけては根の部分を食べると書いてあるのです。品種自体の違いもありますが、葉の部分を出荷時に切り取ってしまう現在とは、食べ方、食べる部分も随分違いますでしょ?

──ダイコンの葉は今でもよく食べますが、さすがにニンジンの葉は最近食べていないですね。

<転載終わり>

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 江戸時代の食は、現代とあまり変わらない部分と、かなり違っている部分とがあるようです。人参は葉も食べたとのことですが、私も葉は捨てずに食べます。からし和えにするととても美味しくいただけます。ただあまり生長したものは、葉が硬くなるので食べられない場合もあります。ひふみ農園では葉付きで送っていますので、葉をふりかけにして食べている人もいます。

 また、タンポポも食べていたのですね。食べていたのは日本タンポポでしょうが、最近は外国のタンポポが多くなっています。日本のものなら試しに食べてみてもいいと思います。

 また、キュウリやナス、ほうれん草などはアクが強かったようですが、ひふみ農法で栽培すると先祖返りするようで、キュウリやナスなどはアクが市販のものより強いように思います。特にナスは市販のものと違って、実が締まっていて美味しいと評判です。大根はとても辛くなり、玉ねぎは辛くて甘くなります。トマトも酸っぱくて甘くなります。とにかく味が濃いので、味付けはしなくても結構いけます。

 それと江戸時代の人からは、マグロのトロは脂っこいので嫌われたとありますが、私も以前はトロを食べていましたが、最近は脂が気になり、食べなくなりました。5年間肉を食べずに、野菜と白米中心の生活をしていたせいか、マグロのトロやハマチ、カンパチ、サーモンなどは食べられなくなってしまいました。確かにイワシやサンマも刺身にすると脂が多くて美味しく感じなくなりました。私の周りの五穀・野菜中心のひふみ友だちは、ほとんどが魚も食べられなくなって来たと言ってます。焼いた魚ならまだいいのですが、刺身は美味しく感じなくなってしまいました。この体験から考えると、江戸時代の人々も肉はほとんど食べていなかったのではないかと思います。私たちのような肉を食べない人は、江戸時代の人々の味覚に近くなっているのかも知れません。

 赤城の家には、マヨネーズやケチャップ、砂糖、化学調味料などは置いていないのですが、無くても別に問題なく生活しています。考えてみて、そういえば砂糖はなかったと気付いたほどです。砂糖やケチャップを使う場面がないのです。欲しいのに我慢しているのではなく、必要としていないのです。その代わり、味噌や醤油、ポン酢、酢、塩、ダシ、酒は本物を使っているので、市販の3倍以上はします。ただ、何ヶ月も持つのでたとえ3倍高い醤油でも、さほど影響はありません。調味料は本物を使うといいと思います。いい醤油や味噌というのは、温かい白米にかけると、何ともいい香りがして、それだけで食べられます。まるで戦時中の人みたいですが、これが美味しいのです(笑)。

 最近は外食でしか魚も食べないので、ほとんど五穀・野菜だけになりました。魚は月に2回くらい食べる程度です。それと海老やカニを2回くらい食すくらいです。味覚は変わるので、これが一番美味しいと感じるのですから不思議です。自分が美味しいと思うものを食べるのが幸せですよね。先週は忙しくて、ご飯を作る時間もなかったので、一日一食、キュウリと味噌と白米だけという日が2日ありましたが、別に力が入らないということもなく、普通に仕事をしていました。野菜とご飯には不思議な力があるのだと思いました。欧米の現代栄養学の見地からみれば、完全に栄養不足だと言われるはずです。確かに、力はありますが、更に2kg痩せたので、農作業の時には一日二食の方がいいかも知れないと考えています。あまり食べないのも身体に良くないですので。

 

 

 

・こだわりアカデミー


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