<産経新聞より>
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2015年は経済危機がさらに深刻化すると予測されているロシアに対し、欧州の主要国から対露制裁を緩和、もしくは、解除すべきだとの声が相次いでいる。昨年12月、ロシアがクリミア半島を併合して以来、先進7カ国(G7)の首脳として初めてモスクワを訪れ、ウラジーミル・プーチン大統領(62)と会談したフランスのフランソワ・オランド大統領(60)。公共ラジオ局フランス・インターの年頭インタビューに応じ、「私は対露制裁を今すぐにやめるべきだと思っている」と語った。
■オランド氏が直言
制裁解除はウクライナ情勢での進展があれば、との条件付きだが、その根拠として、内戦が続くウクライナ東部について、ロシアはクリミアのように見ていないからだ、とオランド氏は主張する。
「プーチン大統領と会ったとき、彼は『ウクライナ東部を併合するつもりはない』と語っていた。彼の望みは影響力をそのまま保ち、ウクライナをNATO(北大西洋条約機構)陣営に加入させないことなのだ」
一方、ロシアの主要貿易相手国であるドイツのジグマル・ガブリエル副首相(55)は対露制裁の継続は「危険ですらある」と、さらに突っ込んだ表現で懸念をあらわにしている。
ガブリエル氏は1月4日、独紙ビルトの日曜版に対して、「制裁を望む者は、私たち欧州の全てを危険な状況に追い込む」と主張。さらに、欧州の目標はウクライナ危機を解決に向かわせることであり、「政治的、経済的に追い込んで、ロシアをひざまずかせることではない」との見解を示した。
■ドミノ不況を警戒
こうした発言の背景にあるのは、ロシアの経済危機を端緒にした欧州のドミノ不況への警戒だ。
ドイツ政府は昨年10月、14年と15年の経済成長率を下方修正し、それぞれ1.8%から1.2%(14年)、2.0%から1.3%へと大きく引き下げた。昨年夏以来、ドイツ製品のロシア向け輸出は2割ほど減少しており、独企業に対する影響は設備投資面にも及び始めた。
一方、フランスもロシア要因により、経済成長率を下方修正した。プーチン政権は昨年8月、対露制裁の報復として、欧州の農産物の輸入を禁止に。農業国フランスの農業団体幹部は「ロシアの措置は欧州を危機に陥らせる」との懸念を示した。さらに、製造費12億ユーロ(約1700億円)とされる仏製のミストラル級強襲揚陸艦のロシアへの引き渡しが対露制裁のあおりを受けて宙に浮いたままとなっており、プーチン政権はフランス政府に対して、違約金の支払い請求訴訟を起こすと圧力をかけている。
■仲介役に潜む内向き側面
欧州諸国への影響は、昨年12月16日の「ブラック・チューズデー」、露通貨ルーブルの暴落を前にした予測であり、今後、人口1億4000万人と欧州最大の市場を持つロシアの状況次第では、さらに落ち込みが深刻化、長期化する恐れが広がっている。
ドイツのガブリエル副首相は、ロシアを苦境に追い込むことは「ドイツの国益、そして、欧州の利益にはならない」とまで明言した。この主張は、一部で「制裁主義者」とまで揶揄(やゆ)される米国保守派、欧州連合(EU)内の強硬派を牽制(けんせい)した言葉だとも言える。
1月15日、カザフスタンの首都アスタナで、ウクライナ危機の解決をめぐり、ロシア、ウクライナと仏独の首脳が一堂に会した4カ国会談が開催されると報じられている。仏独がこうして仲介役を担うのは、ウクライナの政治改革促進やロシアの拡張主義を防ぐことを目的にしただけでなく、実は、陰りが顕著になり出した自国産業の救済という内向きの側面が理由にあるのである。
英紙フィナンシャル・タイムズは8日付で、「窮地に追い込まれたプーチン大統領は、政治的に危険になる可能性がある」ことを一部の欧州の者たちが恐れている、と指摘している。
制裁がもたらすロシアの孤立化は、是か非か。2015年の国際社会の主要課題の一つになりそうだ。(国際アナリスト EX)
<転載終わり>
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ドイツとフランスがロシアへの制裁を、緩和または解除すべきだと言っているそうです。ドイツもフランスもロシアへの輸出が減少しているため、経済成長率も下がっているとのことです。それでロシアへの制裁を解除すべきだとなっているようです。
アメリカの力が弱くなってきていることも、欧州主要国がアメリカの言うことをきかなくなってきている要因かも知れません。
欧米の制裁の影響で、ルーブルが暴落しているので、プーチンさんの立場が危うくなってきていましたが、欧州の方が先に音をあげ始めたようです。今はまだ、我慢比べの状況ですが、やや欧州の方が劣勢のように見えます。欧米は権利の主張を重要視しますが、ロシアは古き良き共同体の名残がありますので、我慢比べになったら、ロシアの方が強いと思います。
ソ連の崩壊のときにも、経済が著しく疲弊して治安が悪化し、極度のインフレや給料の遅配などで家計が行き詰まる中、市民が食料を自給し、飢えから身を守るために役立ったのが、ダーチャという農地が付いた住宅だったそうです。
・ダーチャ wikipedia
ソ連時代、菜園で栽培した農作物を町に持っていき売る事は禁止されていたが、実際には行われていた。経済が著しく混乱していたソ連末期やロシア共和国初期、ハイパーインフレーションや給与支払いが半年、一年も滞り疲弊し切って、日々の食料調達もままならなかったロシア国民にとって、自活(自給自足)という最終手段で食料、現金収入を得る(自力で瓶詰加工など保存食も製造・保管していた)最後の場でもあった。これがロシアの知られざる力となっている。今では郊外の自然保護、自力で無農薬の安全な食料を確保する手段としても重要視されている。