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コロナが暴いた人間性     「元の世界」に満ちていた不正や欺瞞が露呈した

 

<東洋経済より転載>

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コロナ禍が始まって以降、わたしたちの周辺では目を疑う光景が続々と出現している。

デマや流言を真に受けて慌てふためく人々、「自粛警察」を買って出る人々、今も続く「感染者たたき」に血道を上げる人々はもちろんだが、もっと身近なところでは「感染症対策を根性論で乗り切ろうとする経営者」「テレワークができるのにそれを認めず、出社を求め続ける経営者」「テレワークで部下を執拗に監視し、仕事をほとんどしない上司」「在宅の時間が増えても家事や育児に協力しないパートナー」「エッセンシャルワーカーをばい菌扱いしたり、八つ当たりの対象にしたりする客」などといった諸問題が噴出した。
 緊急事態宣言の解除後は、大都市圏で早くも満員電車が復活する中で、惰性的に「全員出社」を命じる企業や、「新しい生活様式」に過剰適応してクレーマーと化す人々などが世間を騒がせている。
暴かれた所属組織や人間関係の真価
 コロナ禍によって暴かれたのは、よくも悪くもそれまでの所属組織や人間関係の真価だった。例えは悪いかもしれないが、大規模かつ長期的な心理テストの被験者にされたかのように、職場や家族などのメンバーが特定のストレスでどのように振る舞うかが試されたのである。
 いわばコロナ禍は「人間性を判定するリトマス試験紙」であったのだ。コロナ以前であればごまかすことができていた「不都合な真実」が次々と露見し、経営者や上司、パートナーや友人たちの化けの皮が次々と剥がれていった。
 しかし、恐らく大多数の人々は日頃から薄々感づいていたことばかりだったのではないだろうか。これまでは実害がさほど大きなものではなく、またそれを解決するにはあまりに困難なことを理由に、肝心の問題を棚上げにしたり後回しにしたりしていたのだ。
 けれども、緊急事態宣言が発令され、感染者の増加や重症化のリスクがさまざまなメディアによって拡散され、政府の無策と失態による経済的なダメージが着実に広がっていく状況下で、程度の差こそあれ誰もが「人間性の危機」に対処せざるをえなくなったのである。
 ウィズコロナ(withコロナ)、アフターコロナ時代は、テレワークなどの多様な働き方が加速するだけでなく、所属組織や人間関係においても「見切る」「見直す」考え方も加速することだろう。近年の災禍を振り返ってみると、このような局面は3.11でも起こっていた。ただし、コロナ禍ほど広範囲で人々の心理に影響を与えている例はない。
 「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」と述べたのは、ナチスの強制収容所の生き証人で、実存分析(ロゴセラピー)の創始者であるV・E・フランクルだ。
 フランクルは、第2次世界大戦後にニヒリズムや悲観主義が蔓延する社会に対し、強制収容所での有名なエピソードから1つの教訓を示した。その収容所では、ナチスの親衛隊員である所長が、密かに自分のポケットマネーで囚人のために薬を購入していたのだった。他方で、最年長者の囚人は、囚人仲間を「ぞっとするような仕方で」虐待していた。
ますます「人間性」を突き付けられる
 フランクルは、この経験を踏まえて「最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか『だけ』だった」と主張したのである。
最後の最後まで問題でありつづけたのは、人間でした。「裸の」人間でした。この数年間に、すべてのものが人間から抜け落ちました。金も、権力も、名声もです。もはや何ものも確かでなくなりました。人生も、健康も、幸福もです。すべてが疑わしいものになりました。虚栄も、野心も、縁故もです。すべてが、裸の実存に還元されました。(以上、V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳、春秋社) 
この真理は現代においてもまったく変わるところがない。むしろ現在のコロナ禍で痛いほど突き刺さってくるエピソードではないだろうか。
わたしたちはこれからも、コロナ禍が引き起こすさまざまな事件や出来事への関わり方をめぐってますます「人間性」を突き付けられることになるだろう。そのような視点から眺めれば、ウィズコロナ、アフターコロナ時代は案外悪いものではない。フランクルのいう「裸の実存」に還元されやすくなるからだ。
 近年、人の尊厳を保つのに必要とされる信頼関係やコミュニティーといったソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の重要性に関心が注がれている。コロナ禍がそれらの再考を迫る強力な刺激剤となっている以上、引き続き既存の所属組織や人間関係を疑問視する人々が増加することは必定といえる。
 「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」というシンプルかつ重大な啓示は、「厳正な眼差し」となって自他の言動――電車でたまたま隣り合った人から一国の首相に至るまで――の道義性を見極めようとする。現にもうそのような傾向が少なからず定着しつつある。
 わかりやすく言えば「人間性を疑うような者たちとどう向き合うのか」ということであり、抽象的な言い方をすれば、フランクルの「裸の実存」に基づき自分自身の生き方を問うのである。
 「こんなひどい働き方を強いる職場には戻りたくない」「パートナーは家族のことを何も考えていないかもしれない」などといった現在進行形の不信や疑念は、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題へと歩み出す契機にすぎない。
逃げられる社会から逃げられない社会へ
 人類学者の西田正規は、「定住革命」について「逃げられる社会から逃げられない社会へ」というフレーズで表現した。その昔、人類は「定住者」ではなく「遊動者」として生きてきた。それが劇的に変化したのはおよそ1万年前といわれている。
 西田は「霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境を荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を生き続けてきた」と指摘する。
だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快であったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。(以上、西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫) 
 地震や噴火、津波や大洪水といった自然災害を、「遊動者」は身軽に移動することで、かわすすべを心得ていたが、わたしたちは「定住」という言葉が示すとおり、あくまでそこにとどまろうとする。西田は「ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた」という。
 恐らくこれは物理的にというよりは、心理的にだ。住居というストックが象徴的であるが、所有という概念に根差した固定的な社会があるからである。関係性に対するスタンスもこの志向に半ば引きずられ、非常時においてもこの「基本戦略」を忠実に遂行しようとしてがんじがらめになっているのだ。
 「不快であったとしても、危険が近づいたとしても」「人間性を疑う」カルチャーが支配する関係性を守ることを選びがちになるのである。損して得を取れ――尊厳は損なわれるが一時の安心は得られる――というわけなのだ。
「遊動者の知恵」から何を学ぶか
 当然のことながら、わたしたちは気まぐれに「遊動者」へと先祖返りするようなアクロバティックなことはできない。そのような社会はほとんど存在しないからだ。とはいえ、「遊動者の知恵」から学ぶことはできるだろう。
 今日的な「遊動者の知恵」とは、「裸の実存」を物事の判断の中心に据えて、コミュニケーションの仕方を変えたり、相手の「人間性」を「差し引いて付き合う」フットワークのことであり、尊厳が損なわれる場所から、実りのない関係性から、素早く距離を取ったり、軽くいなしてしまうフットワークのことだ。冒険を恐れずに新しい仕事や新しいつながりに飛び込むこともそこに含まれるだろう。
 「わたしたちはもう元の世界には戻れない。しかし、元の世界がよかったといえば微妙だ」――まるでSF映画のせりふのようにも聞こえるかもしれないが、これがウィズコロナ、アフターコロナ時代の嘘偽りのない現実といえる。ならば、わたしたちはむしろ、「元の世界」に満ち満ちていた不正や欺瞞がおのずから露呈する「今の世界」こそ、愛でなければならないのではないか。

 

<転載終わり>

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 緊急事態宣言が解除され、繁華街では人出が多くなってきています。6月19日からは県をまたぐ移動の制限も解除されます。現在はまだ、鎖国中ですし、県境にはまるで関所があるようです。3月は東京の山手線や地下鉄などでも、マスクをしている人は半数くらいでしたが、今はほぼ100%マスクを着けています。テレビだけしか見ない人は、コロナウイルスを過度に危険視している傾向があります。

 この記事にあるように、コロナウイルス騒動で職場や家庭、近隣の人間関係に大きな変化が出てきています。これからは自身のやり方ではなく、在り方が大事になってくるのだと思いました。

 

 

・東洋経済


「ワンネスの扉」 脳と魂の違い

 


 「ザ・フナイ」2020年3月号で、フランス人のジュリアン・シャムルワさんへの新谷直恵さんのインタビュー記事が掲載されていました。ジュリアンさんは16歳の時に、UFOを見てから、宇宙人がアプローチしてくるようになったそうです。最初はとても怖かったそうですが、次第に宇宙人が危害を加えることがないと分かり、交流が始まりました。
 また、この記事には、頭(脳)と魂(ハート)の違いについて書かれていました。頭とは集合的社会的無意識のことで、魂とは魂の計画を指していると思います。


◆ ジュリアンさんのプロフィール
「1980年、フランスのブルゴーニュ地方、ディジョン市に生まれる。パリ第5大学で人類学修士および言語学修士。16歳でUFOを目撃して以来、謎の宇宙人との交流が始まり、なんの予備知識もないままに繰り返しワンネスを体験。その現象を長年つぶさに記録した手記から『ワンネスの扉』が生まれる。14歳より独学で日本語を学びはじめ、留学生との交流学習を通じて会話を習得。」

 

◆ 「ザ・フナイ」インタビュー記事(抜粋)になります。

新谷:宇宙人とUFOとはどんな関係ですか。

ジュリアン:私もそれがどういう存在なのか考えてきましたが、UFOを作る存在というのは宇宙がわからないと作れませんし、旅ができませんので、そのくらいの理解があるというのは、スピリチュアルな存在だろうと思いました。私は宇宙のことはまったくわかりませんが、向こうはわかっています。そして向こうは波動で宇宙を歪ませたりいろいろなことをやっています。宇宙が歪むということは、宇宙はスペースですので、空間と時間が意思で歪むのです。ですから旅に出ることもできるし、いろんなことができます。

新谷:『ワンネスの扉』を読んで感じたことは、宇宙人はジュリアンさんが真に受け入れるまで辛抱強く待っていてくれて、なんと優しく、なんと辛抱強いのかということでした。もうひとつは、脳とハートの機能の明快な違いです。
 ワンネスの体験は日常生活の中で突然やってきます。横断歩道を渡っているときやスーパーで買い物をしているときにも突然やってくるので困り、それを止める方法がないかといろいろ試したのですね。そして見つけたのが、自分の頭を使うことでした。ものごとを判断したり推測すると、そのすばらしい気持ちがパッと消えた。そうしてスイッチオフを見つけたのですね。

ジュリアン:ある日、ワンネス体験をスイッチオフができたら、スイッチオンもできるのではないかと思い、自分でワンネス体験を初めて誘起することになりました。そこからいろんなスピリチュアルな体験ができました。
 宇宙には時間も空間もないし、私というものもただの錯覚でしかありません。そういうことを私は今、言葉を使って紹介しようとしていますが、その状態になると言葉ではなく、全身に溢れてれくるものがあるので、感動せずに話すのはなかなか難しいです。
 宇宙のことを説明しようとすると、頭ではなく魂にフォーカスしなければならず、そうするとその気持ちが溢れ、泣いてしまうのを止めることはできません。はっきり言えば人々の前で泣くのは嫌です。男として恥ずかしいと思うのですが、でもそう判断しているのは頭の声です。
 そうした記憶は頭ではなく心に記憶されているから、その記憶を取り戻すためにはそこにアクセスするしか方法がありません。つまりこの愛に再びつながることしかないのです。宇宙は愛でできている。そして宇宙は生きている。そして宇宙は私たちをいっさい判断していません。いっさいです。そのことは一生忘れられません。

新谷:そのお話しは感動的で、こちらのハートにも伝わって来ました。ジュリアンさんは私たちが想像していることを、具体的な体験を通して、それを言葉で話してくださるからすごくわかりやすいです。

ジュリアン:はっきり言うと宇宙人とのやり取りは、最初は頭で考えるじゃないですか。「あなたたちは誰だ」「何の用でここに来たの?」などと考えるのですが、その訪れが頻繁になってくると、疑問や違和感を感じているのは誰なのだろうという思いと同時に、来てくれてありがとうという気持ちもあるので、おかしいと思っていました。
 自分の中には二つの自分がいて、違和感を感じる自分と、来てくれてありがとうという自分を同時に体験している。私とは誰なのだろうと混乱していました。違和感を感じる自分は明らかに頭で、大きな声で話しているのですが、その一方にある微かな声は、それまでは自分は知らなかった自分で、それをもっと掘り出して見つめていきたいと思ったのです。彼らの訪れを違和感として体験しながら、もう一つの自分は彼らに対して信頼感を感じている体験はとても新鮮でした。
 その信頼というのは、先月からではなく、昨年からでもなく、ずっと前からの信頼感、安心感だということに気付き、もしかすると、この人生の前の人生の繋がりかもしれないと思いました。

新谷:ジュリアンさんが大切にされていることはありますか。

ジュリアン:できるだけいろんな人と一緒に行動し、喜びと一緒に動くことを大切にしようと思っています。それは仕事の面でも、パーソナルな面でも。
 私たちが頭で記憶していることと、魂で記憶していることは別のものです。私の体を使い終わった後に残るのは魂に記憶されたものだけですので、これからの人生をどう生きるか、できるだけ魂の経験を重ねていきたいと思います。
 頭が必要なときもありますが、頭での判断はもう許しません。頭の言葉を借りる時間は、はっきり言ってもうないのです。私は言葉では語れないそうした体験をこれからもみなさんと分かり合いたい。なぜかというと、もう十分頭の中の声にだまされてきたからです。頭から心へのフォーカスが必要です。それが私の願いです。

◆ ワンネスについて
 一般的にワンネスとは以下のように言われています。
・すべては意識から創造された
・すべては一つ
・すべては繋がっている
・時間という概念がない
・場所という概念がない
・生と死という概念がない
・始まりも終わりもない

 

 

 

◆ 次にジュリアンさんが書かれた本「ワンネスの扉」(2019年5月5日発行)を読んでみました。
以下抜粋になります。

・人間の記憶媒体は以下の3つである:
① 脳(記録ができる身体の器官)
② 魂(身体を運転している人間の本質)
③ 身体(脳以外の身体の筋肉や細胞)

・ワンネス体験のはじまりは、愛だ。愛は感動を生み出す。胸がいっぱいで涙を抑えられない。その愛はハートをつらぬく。アンプを調節すると音楽の周波数が飽和するみたいに、人間である自分がこの愛で飽和状態になる。ハートが愛で満ち溢れる。この愛が、人間である僕の殻を破り、それを超える次元の体験をさせる。
 この愛から学んだ一番大切なことは、「私はあなた、あなたは私」。他者との区別はない。それは頭で理解するコンセプトではなく、身体で感じる体験だ。「私はあなた、あなたは私」という感覚が身体に浸透すると、見ず知らずの他人を見ても自分が見える。人が体験している人生に深い感謝が湧いてくる。皆が一つの生命体のように、互いの体験を重ね合わせているのがわかる。

・通りを歩く人々の考えが本人のまわりに雲のように現れるのだ。その人の信念や想念が形となって顕在化しているのだろう。ポジティブな思いは明るい色の雲として、愚痴や不平不満の思いは暗い色として見える。積年の悩みがずっと頭の周辺にまとわりついている人もいた。ふと湧いた考えが、突然ポンと頭のまわりに現れることもあった。その思念の雲と一緒に、考えている内容も伝わってきた。彼らの思いが、僕の脳にではなくハートに響く。その雲をはじめて見たときは驚いた。想像したこともない現象で、意味もわからなかった。でも何度もワンネスを体験するうち、だんだん当たり前の現象に見えるようになった。
 次第にわかってきたのはこういうことだ。僕たち一人ひとりが創造者で、つくり出したいものを念じて宇宙へ送り、宇宙は鏡のようにそれを実体として映し返す。そのプロセスは一から十まで時間がかかるが、最初のステップは「思い」だ。思いは漠然とした雲となり、それがだんだん形ある実体となっていくことで物質的な次元で具現化される。
 人々が道路ですれ違うとき、双方の思念の雲が触れ合い、互いに影響を及ぼしているのも見えた。交流はつねに行われていた。通りを歩きながら赤の他人とすれ違っているときでさえ、目に見えない次元での交流が起こっている。
 僕には交流が見えただけでその結果はわからなかったが、ふとアイディアが湧いたり、インスピレーションがひらめいた時というのは、きっとこの交流の影響を受けているのだろう。頭の中で歌をうたっているとき、そばにいる友達が同じ歌を口ずさみ始めることがある。それと同じ現象だ。

・ワンネス体験が頻繁だった頃、日々の生活にもさまざまな影響があった。たとえば、道を歩いているだけで周囲の人から何かを感じ、それが心地よいときもあれば、不快で気分が悪くなることもあった。スーパーや人混みで近くにいる人の考えが聞こえてきたり、あるいは人の全身を見ると健康状態やバランスのとれていない器官がわかったりもした。
 体験から考察すると、僕たちは身体から目に見えないエネルギーを発しており、そのなかにはたくさんの情報が含まれている。その情報を受け取ることができれば、嘘はつけなくなり、お互い正直にならざるを得ないのではないかと思う。
 こういったエネルギー体を少しでも感じられるようになれば、それらを介して情報交換ができるようになる。さらには宇宙人や守護霊などとも意思疎通が可能になってくる。波動が上がると情報が流れてきて、ラジオの周波数を変えるように波動を変えると、また異なった情報が得られた。
 こうした学びを通して最終的にわかったことは、波動によって同じ波動レベルの物事や人物が引き寄せられてくるということだ。まさに「類は友を呼ぶ」の通り、自分の波動によってそれに見合う環境が備わっていく現象を数多く目撃した。それは物事や人物だけでなく、目に見えない存在についても同様だ。自分の波動が上がると、さまざまなスピリットやあの世の霊たちも見えてくるようになった。
 ワンネスを誘起するために窓から人々を見つめていて一番驚いたのは、共感を呼び出すときにかいま見たスピリットの存在だ。通りを歩く人のまわりに寄り添う、たくさんのスピリットたち。なかには亡くなった人の霊もいたが、多くは身体を持たずにこの地上で活動している存在だった。スピリットたちは人のすぐそばにいて、霊的に励ましたり、その人の考えをじっと見守っていたりする。僕はいつもワンネスを深く体験することに集中していたため、その姿を一瞬かいま見るだけだったが、そういったスピリットと人間との関係はどれもポジティブで、人々にスピリチュアルな支援をしているように見えた。
 この現象を見るまで、僕は目に見えない存在にはあまり興味がなかった。亡くなった人は霊となり、しばらく地上に留まったあと最終的に霊的世界へ戻るのだと思っていたし、それ以外の存在がいるとも思っていなかった。だから、ワンネスで見たこの現象は驚きだった。
 スピリットたちは皆、心から人間を支えたいと願っていた。僕の心の中でときどき聞こえる小さな声も、こういう存在から来ていたのだろう。きっとスピリットガイドと呼ばれる存在なのではないかと思う。
 人間や土地に取り憑いて離れられなくなった霊のことを、よく憑依霊や地縛霊などというが、ワンネスの波動の高い状態で見る世界には、そういった霊が視界に入ってきたことはなかった。僕たちが住むこの世界は何層ものレイヤー構造になっており、彼らは別のレイヤーに存在しているかもしれない。
 僕が見たスピリットはとても自由に人々のあいだを闊歩していた。何より驚いたのは、その存在の多さだった。一人、二人といった数ではなく、そこらじゅうにあふれている。人間一人につき少なくとも一人のスピリットが付き添っていた。彼らは自由に現れ、あちこち移動し、人に近づいたり消えたりしていた。「なんだこれは!?」と最初は本当にびっくりした。人がいれば必ずすぐそばにスピリットがいて、何かしらに交流がなされている。この現象はワンネスのはじめに一瞬目にするだけで詳しく観察したわけではないが、それでも彼らと人間との関わりの多さ、交流の豊かさに感銘を受けた。

・人生で子どもの頃から脳がつくり上げてきた「私」は本当の「私」ではない。もともと、肉体を持つ人間に生まれることを決めたのは魂だ、新しい命として人間の体験を通して学んでいくのも魂であり、老化した肉体を脱ぎ捨てて次の旅に向かうのも魂だ。決して「私=脳」ではない。本当の「私」とは、肉体と脳を使いこなし、いま物質的な次元を体験している「私」を超えたものであり、それが「魂」なのだ。

・宇宙意識と僕たちの意識が交流するには、コンタクトしやすい民族や文化があり、逆にコンタクトしにくい民族や文化がある。彼らは西洋的な個人型の意識よりも、集合型の意識とのほうがコミュニケーションしやすい。その点で、日本人は宇宙人たちと話が通じやすいと僕はずっと感じていた。

 

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 長々と引用しましたが、大変興味深い内容だと思いました。ジュリアンさんは能力者というわけではないのですが、宇宙や宇宙人を世に認知させるというお役目を持った方だと思います。16歳の時にUFOを見た時から、宇宙人からのコンタクトが始まりました。最初は怖いので、拒否していたのですが、何度も宇宙人からコンタクトがあるので、半ばあきらめて対応したようです。
 魂で対応すると宇宙と繋がり、大きく感動しますが、頭で考えた瞬間に宇宙から遮断されました。集合的社会的無意識と魂の計画のことであると思います。
 また、私たちの傍にはスピリットが寄り添っているそうです。スピリットとは西洋では精霊、妖精と思われます。日本では妖怪も含まれるのではないでしょうか。


 ジュリアンさんとはSNSで何度かやり取りしましたが、とても礼儀正しく、優しくていい人です。ジュリアンさんはパリでパンケーキのお店を経営しています。また、多くの仲間とパリの市民農園で、無農薬で野菜も栽培しています。
 今年の12月に来日されるとのことで、お互いに都合がつけば会いましょうということになっています。
 この「ワンネスの扉」という本は、「宇宙人はいるよ」という本です。こういう本が出てきたというのが宇宙元年の2020年にふさわしいと思いました。
 

                                   
                                 

国常立尊とスサノオ、艮の金神、サナートクマラ、ルシファーの関係

 

私は大学時代に学内で伝道され、キリスト教に入信しました。
キリスト教では、アダムの犯した罪が全人類に及んでいるといっています。神はエデンの園にアダムとイヴを置き、あらゆるものを食べて良いと命じたが、「善悪の知識の木の実」だけは「採って食べると死ぬであろう」として食べることを禁じました(創世記2章15節 - 17節)。しかし蛇にそそのかされたイヴが「善悪の知識の木の実」を食べ、イヴに勧められたアダムも食べました(創世記3章1節 - 7節)。これが人類の原罪になってしまったといわれています。
 聖書ではリンゴに例えられる「善悪の知識の木の実」を食べたことが、人間の原罪であるといっています。

 昨年横田先生の著書を拝読し、リンゴを食べて善悪を知ったことで、人間は集合的社会的無意識で動くようになってしまったのだろうと勝手に考えていました。
 ところが1月の不思議の会で横田先生が話された内容ですと、アダムとイヴが自分たちは創造者であることに気付いて、エデンの園を出ていったとのことでした。なるほど、真相はそういうことか、と膝を打ちました。
 
 キリスト教ではイヴをそそのかした蛇は悪であり、サタンとも言われています。サタンである蛇はルシファー(ルーシェル)といわれる天使長です(他にガブリエル、ミカエルがいます)。
先週ベランダで星を眺めていたところ、そういえばルシファーは明けの明星といわれていたことを思い出しました。つまり金星です。金星といえば、サナートクマラだなと思いました。まさかルーシェルがサナートクマラと関係があるはずはないなと思いながら、ネットで検索してみたところ、以下のサイトを見つけました。
 
<虹の向こうに>
『金星と言えば、サナートクマラ。(サンスクリットで、「永遠の若人」の意味)
サナートクマラは、ヒンズー教の神話で、ブラフマーから生まれた四人のクマラ(息子)の一人です。日本神話では、スサノオ。西洋では、ルシファーであると言われています。』
 
 ビックリしました。このサイトではサナートクマラがルシファーだと言っています。そうだとすると、アダムとイヴに対して「人間は創造者だ」と教えたのは、サナートクマラだったことになります。サナートクマラは義経だけでなく、人類始祖のアダムとイヴも指導していたのです。

 さらに驚いたことに、サナートクマラはスサノオであるとのことです。日月神示ではスサノオは国常立尊であるといっています。そこで、スサノオと国常立尊で検索してみると、以下のサイトがヒットしました。
 
<魂の覚せい剤「ルシファーの錬金術」>
ルシファーとは艮の金神(うしとらのこんじん)です。艮の金神の正体は、龍神の総大将である国常立尊であり、スサノオでもあります。
 
 つまり、サナートクマラ=ルシファー=艮の金神=スサノオ=国常立尊 となります。
 
 出口王仁三郎や出口なおも国常立尊に導かれ大本教の経典を作ったといわれています。
 
 このように考えると、義経を鞍馬寺で指導したのは、スサノオであり国常立尊であるということになります。そして、現在も横田先生を支援しているのは国常立尊(サナートクマラ)だといえます。
 日月神示は、国常立尊(スサノオ)が赤城龍神を介して岡本天明に書かせた書だと言われています(最高神は直接人間にかかれないため、人間に近い赤城龍神を介して岡本天明に書かせたといわれています)。

 日月神示の第一人者は中矢伸一先生ですので、2月に横田先生が中矢先生と対談をされた理由はこれだったのかと納得しました。

 

 

新型コロナウイルスの特性

<In DEEP より転載>

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テキサス州やアリゾナ州、オクラホマ州、ネバダ州、サウスカロライナ州などはものすごい急増を示していまして、過去最大の増加を示している州も多いです。
3ヶ月に及ぶロックダウンの後の様相がこれということになるのかもしれないですが、同じようなことが、現在多くの国で起きていて、これからも起きていくと思います。
感染症への対策には、いろいろな考え方はあるとは思いますけれど、このブログでは当初から、
「対策しない」
という方法しかないと思って、そう書いていました。
その理由は、新型コロナウイルスという病原体を「軽く見ているからではなく」、その「真逆の理由」であり、つまり、この新型コロナウイルスというのは人類史上最強の伝染力を持つウイルスであることが早い段階からわかっていたからです。
手に負える相手ではない。
人為的に感染拡大を抑制するには「強すぎる相手」なのです。
たとえば、3月10日の以下の記事では、私は、このウイルスに、ほとんど尊敬にも近い念を込めて、「下手に対抗すると人類は完敗する」と記しています。


[完璧なウイルス]新型コロナは「3種類の感染受容方法」を持ち、増殖するための酵素を「8種類利用できる」おそらく史上最強のウイルスであることが判明。これにより治療薬の開発は不可能である可能性が高まる
In Deep 2020/03/10
ここでご紹介したさまざまな医学論文から、私は、この新型コロナウイルスという存在が、「以下の特徴を持っている」ことに、当時気づきました。


新型コロナウイルス SARS-Cov-2 の特徴
・多様な感染受容ルートを持つために感染性が極めて強い
・細胞内の複数の酵素(プロテアーゼ)を利用して増殖できる
・つまり、ごく少量のウイルスでも死滅せずに細胞内で増殖する可能性がある
・それなのに、発症率と症状は低く、誰が感染しているかわかりにくい(そのために感染が拡大しやすい)
・致死率が低い(感染者が生きている限り、ウイルスは死滅しないので、社会全体のウイルスの絶対量が増えていきやすい)
・発症期間が極めて長い(ウイルスの外部への放出期間が長い)

こんなものを「抑制する」なんてことができるわけがない……と、この 3月の時点で思いました。
相手が対等な存在、あるいは方法論が確立している相手なら戦うのも可能でしょう。
ところが、これは「人類が経験したことがない相手」であり、戦う方法論そのものが存在しない。
なら、勇気をもって「対策しない」ほうが良いと思ったのです。
しかし現実には、この記事を書いた後の 3月の下旬から、世界全体は「ロックダウン」とか「緊急事態宣言」とか、そういう方法で、この「対決する方法論の存在しないウイルス」と戦おうするという形而上的な方法に突き進んでいきました。
それは絶対にうまくいかないと、賢明な医学者たちなら普通は思うはずです。
それでも、各国はその方法論で進み、今でもそれを続けているのです。
アメリカでは、たとえば、結果として、先ほどご紹介しました「最悪の現状」があります。
ウイルスが変異していることを考慮すれば、今後もさらに感染確認事例は増加するはずです。
さて、またロックダウンしますか?
今度は6ヶ月? 3年? 5年 60年? 1200年?
 
それでも、このウイルスは消えないと思います。
これは強すぎる。
無視する以外の方法がないほど強すぎる。
もう一度、先ほどの過去記事でご紹介した新型コロナウイルスの受容体の仕組みと、プロテアーゼの仕組を思い起こしてみます。
このウイルスは、その受容体とプロテアーゼの多様性から、おそらく地上から人間がいなくなっても、あらゆる他の生物の細胞を利用して、地球に存在し続けることが可能だと思います。
なので、1200年間ロックダウンしたとしても、ロックダウンが解除された途端に、また感染流行が始まるはずです。
8000年間のロックダウンでも、150億3000万年のロックダウンでも、それは変わらないと思います。
それでも、今後、社会はさらに形而上的な方法論を模索し続けるのだとも思われます。ソーシャルディスタンスにフェイスマスクにフェイスシールドを 150億3000万年続けて、その意味は?
 
そして、それらの言葉と概念が消えない限り、「社会が元に戻ることはない」です。
それでも、続けていこうとしている。
 
そんなわけで、今後さらに世界も日本も、経済はムチャクチャになっていくと思うしかないのですが、冒頭に載せましたスペインのビーチは、本来なら今のシーズンは、ヨーロッパで最も賑わうビーチリゾートのひとつですが、6月23日の様子を見る限り、「まったく人がいない」ことがわかります。
スペインは、すでにロックダウンを解除しているのに、この様相です。
国際間の人の行き来がまだ確立されていない理由も大きいでしょうけれど、「スペイン国内の人は?」と思うほど、誰もいないことが報告されています。
これは、日本の観光地も含めて、多くの国の観光地に言えることだと思われますし、続いていくことだと思われます。
「すべて元に戻れば」こんなことは解消されるわけですが、では、それはいつなのでしょうか?
少なくとも、今のように「今日の感染者数は〇〇人」とやっているうちは永遠に元の社会は来ない。
では、ひとりも感染者が出ない日はいつでしょうか?
だいぶ以前に、
「日本国内でひとりも風邪を引いている人がいない瞬間というのはあるでしょうか?」
という形而上的な話を書いたことがありますが、そこから想像してもらえればいいかと思います。
まして、新型コロナウイルスは、一般的な風邪ウイルスの数十倍から数百倍の伝染力を持ち、そして、次々と変異している。
感染者がひとりもいなくなる日が来ると考えるのは、サイエンスフィクションに近いです。
 
こんなこと、多くの専門家はわかっているだろうに、専門家たちも、もはや何も言えなくなっている。
世界全体が異様な思想統制傾向に陥っている。
混乱をこれ以上拡大したくないのなら、誰かが何とかしないといけないと思うのですが。
 
冒頭のスペインのビーチの写真は、最近、アメリカのサンフランシスコからスペインのバルセロナに行った人のウェブサイトでの報告ですが、バルセロナの街も、ロックダウンから再開されたとはいえ、ショップやレストランの多くが閉鎖されたままで、今後も閉鎖が増加することは確実なようです。
なにしろ、いつもはあれだけ人で賑わうバルセロネータのビーチの海外通りが以下の様相では、店などやっていられるわけがないです。

 

 

・wolfstreet.com
ちなみに、スペインへの海外からの観光客は、
・4月は 0 人
で、
・5月は 前年比 -99.5%
でした。
2015年9月-2020年5月のスペインへの訪問観光客の推移

・wolfstreet.com
これは、日本も同じで、4月の訪日外国人数は、前年比 -99.9%だったことが報じられていまして、限りなくゼロに近いです。
世界中のほぼすべての観光地が同じような極端な状況となっている中で、先ほどのアメリカのように、第二波というのか、つまり、
「再び感染者が急増している」
ことが明白となってきているのです。
各国政府は、もはやロックダウンも緊急事態宣言もおこなっていませんが、しかし、国や地域によっては、以前より感染者が激しく増えていることもまた事実です。
 
じゃあ、何だったんだと。
 
全世界で閉店したり閉鎖するしかなかったショップやバーやレストランは、一体、何のためにそんな苦しいことにならざるを得なかったのかと。
どうして理性的に考える中央政府がほとんどなかったのかと思います。
とはいえ、今さらもう仕方ないです。
私たちは今後の、一種苛酷すぎることが予測される世界で、生き伸びていくなりしていく他はなくなっているわけで、さて、どうしたものかと思います。
間違っても、もう元には戻らないのです。

 

<転載終わり>

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 日本では毎日100人ほどが新規にコロナウイルスに感染していますが、アメリカでは2万人~3万人が新規に感染しています。

 

新型コロナウイルス SARS-Cov-2 の特徴
・多様な感染受容ルートを持つために感染性が極めて強い
・細胞内の複数の酵素(プロテアーゼ)を利用して増殖できる
・つまり、ごく少量のウイルスでも死滅せずに細胞内で増殖する可能性がある
・それなのに、発症率と症状は低く、誰が感染しているかわかりにくい(そのために感染が拡大しやすい)
・致死率が低い(感染者が生きている限り、ウイルスは死滅しないので、社会全体のウイルスの絶対量が増えていきやすい)
・発症期間が極めて長い(ウイルスの外部への放出期間が長い)

 

 

In DEEPさんが言われるように、現時点ではコロナウイルスの感染者がなくなることはかなり難しいかと思います。コロナウイルスは感染性は強いのですが、発症率が低いので、誰が感染しているかわかりにくいということが問題を難しくしています。

このような厄介なウイルスに対抗するのは至難の業です。

いろいろな考え方があると思いますが、極度に気にせず、マスクを着用し三密を避けて、なるべく普通に生活することにしています。

 

日月神示から見る現状について

 

コロナウイルスの問題で世界中が混乱していますが、日月神示では今の状況を言い当てていると思われる内容があります。

・食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。さらにまた奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。(「月光の巻」第二十五帖)

・金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。区別と順序さえ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬ意固地さが、そなたを貧しくしたのぢゃ。赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧は負け惜しみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄(いやさか)の道、神の道(「月光の巻」第二十四帖)

・現状を足場として進まねばならん。現在のそなたの置かれていた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。山の彼方に理想郷があるのではないぞ。そなたはそなたの足場から出発せねばならん。よしそれが地獄に見えようとも、現在においてはそれが出発点。それより他に道はないぞ。(「月光の巻」第二十六帖)

・祓いは結構であるが、厄祓いのみでは結構とはならんぞ。それはちょうど、悪を無くすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪を無くすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。よく考えてくだされよ。善と申すも悪と言うも、皆悉(ことごと)く大神の
肚の中であるぞ。大神が許し給えばこそ存在しているのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
(「月光の巻」第二十七帖)

・訳のわからん虫わくぞ。訳のわからん病流行るぞと申してあるがそのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなっているから気つけてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教えでは治らん。病を殺してしもうて、病を無くしようとて病は無くならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すという教えや、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。(「月光の巻」第三十帖)

・足の裏を綺麗に掃除なされよ。外から見えん所が穢れているぞ。日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。(「月光の巻」第三十一帖)

・行き詰まった時は大きく開ける時ぢゃ。ぢゃと申して人心で急ぐでないぞ。急ぐと道が見えなくなってくるぞ。(「月光の巻」第三十三帖)

・かみかかりはよしなされよ。そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ。そなたは自分で自分の首を絞めるようなことをして御座るぞ。自分で勝手に小さい自分の神をつくっているぞ。一度その神を捨てなされ、固く抱きしめたり、閉じ込めているからわからんことに生き詰まるのぢゃ。(「月光の巻」第三十四帖)

・そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申しているが、すべては大神の肚の中にいて、一応大神が許しなされて居ればこそ存在し、生命しているのであるぞ。悪く映るのは心の鏡が曇っているからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。新しき世界には新しくてんし、天下をこしらえねばならん。(「月光の巻」第五十帖)

・頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。頭も下げず低くならんでいては流れては来ないぞ。神の恵みは淡々とした水のようなものぞ。そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻曲げて自分のにおいを嗅いで見るがよい。(「月光の巻」第五十四帖)

・そなたはなかなか立派な理屈を申すが、理屈も必要ではるが、沫(あわ)のごときもの、そなたの財産にはならんぞ。体験の財産は死んでからも役にたつ。(「月光の巻」第五十五帖)

・そなたはすぐに金にならねば食って行けない、金にならぬ仕事は出来ぬ、自分はよいが妻子が可哀想だから、などと申しているが、どんな仕事でも、その仕事に融け込まねば、その仕事になり切らねばならんのに、そなたは目の先の欲にとらわれ、欲になり切って、目の色を変えて御座るぞ。それでは仕事にならん。仕事は神が与えたり人が与えてくれるのではないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。この道理さえわかれば、失業はないぞ。自分が仕事ぢゃからのう。

・そなたは形や口先ばかりでものを拝んでいるが、心と行いと口と三つ揃わねばならん。三つ揃うて拝むならば、どんなものでも与えられるのぢゃ。

・そなたの現在与えられている仕事が神業であるぞ。その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばならんぞ。そのたはそなたの心と口と行いが違うから、違うことが次から次へと折り重なるのぢゃ。

・理屈は悪と申してあろうが、理屈無い世に致すぞ。人に知られんように善いことつとめと申してあろうが。人の知れんようにする善いこと、神心ぞ。神のしたことになるのざぞ。(「夜明けの巻」第七帖)

 

  最後にもう一つご紹介いたします。

・特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り、人民として生まれてくることもあるぞ、末世にはこの種の降誕人(こうたんじん)が沢山あるぞ。(「月光の巻」第三帖)

 

 降誕人(こうたんじん)とは宇宙人のことではないかと思います。地球の最終章では、降誕人(こうたんじん)という宇宙人が沢山生まれてくるということではないかと思います。天使の霊が母体に宿るとのことですので、てんし様ともいえるかもしれません。

 

業謝を受けてみました

 

2018年12月、「ザ・フナイ」に不思議の会の横田代表の記事が掲載されているのを見つけ、読んで

みました。その中で、業謝(ごうしゃ)について書かれていました。指先で皮膚を軽

くさすると、潜在意識がクリーニングされるということでした。

不思議の会のホームページを見てみると、業謝について詳しく説明されていました。

自分の業を浄化することができれば、面白い展開が待っているのではないかと感じ、

業謝を受けてみたいと思いました。そこで不思議の会のホームページから、業謝に

ついて問い合わせてみました。後日メールでご連絡をいただき、東京で業謝をして

いただけることになりました。

2019年1月21日の午後3時から、横田代表より業謝をしていただきました。痛いとは

聞いていましたが、かなりの痛さで、うなりました。軽く指先で皮膚をさするだけ

なのですが、とにかく痛いのです。特に、太ももの外側とお腹が強烈でした。自分

の中にある業が出されるのを拒んで、痛さを捏造しているのだそうです。

なんとか業謝が終わり、別の部屋で体を見てみると、真っ赤な業謝の跡が出ていました。

物理的に皮膚が傷ついているわけではないので、お風呂に入ってもしみることはあり

ませんでした。業の跡は一週間ほどでほとんど消えました。

その後も定期的に業謝を受けています。

 

以下、不思議の会のホームページから、業謝行について引用させていただきます。

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業謝とは、皮膚を指先で軽擦するだけで皮膚を通して、人間の潜在意識をクリー

ニングする技法です。横田和典師が、業捨師・谷原弘倫先生とのご縁によって

伝授された「業捨行」を基に、生理学、心理学、整体学、経絡理論などの観点

を取り入れながら、自己の真諦(真実の姿)に気づく身体技法として「業謝行」

を創始するに至りました。

【業捨とは】
業捨行は、弘法大師・空海が中国から持ち帰った、密教の法力を源とする

行法。弘法大師・空海は仏門に帰依する修行者に対して、心身に付着して

しまっている業を、密教の法力を以て捨て去らせ、修行者の仏門修行を

滞りなく成就させる為の行として、その法力を発揮されました。

 その空海による密教の技法を独自の観点で現代に復元させた、谷原

弘倫先生が「業を捨てさせる技法」である為「業捨(ごうしゃ)」

と名付けられました。

■参考図書:
「空海の法力で治す」(すばる書房刊)
「業捨」(すばる書房刊)

業謝の誕生した経緯 ー業捨師・谷原弘倫師との出会い

業謝のルーツは谷原弘倫師が昭和56年に創始された「業捨(ごうしゃ)」に

あります。以下、横田師の経験談です。

『私は、業捨行をご自身のご著書でも紹介されている、世界的物理学者

である保江邦夫先生にご縁を頂き、武道の恩師である山﨑博通先生のご

紹介を経て、谷原弘倫先生から直接拝受させて頂きました。

●保江邦夫先生のご著書であり、業捨についてのエピソードやご考察

などがつづられている書籍は下記の通り

・「合気の道」(海鳴社)

・「愛の宇宙方程式」(風雲舎)

初めて谷原先生にお会いした時、谷原先生は睨み付ける様な目で、

「あんた余り業が無いようやけど何しに来たの?」と聞かれました。

そのタイミングでご丁寧に山崎博通先生が私の素性を説明して下さ

いました。すると谷原先生は快く業捨をして下さりました。

業捨の時間は1時間半ほど続き、有り難い事に、その間に業捨に

関するあらゆるお話しをして下さいました。今思えば有り難いと

同時に、何故あそこまで深いお話しをされたのか不思議です。

そして、業捨が終わった時に私の目を見つめ「横田さんあなた

業捨が出来る様になっているからやってみなさい。最初は真似

ごとで良いからやりなさい。」と言われ、ご自身の腕を差し

出され私に業捨の真似ごとをさせて下さいました。

その時に「そうそう。やっぱり出来てる。ドンドンやりなさい。」

と仰り、帰り際には「また遊びに来て下さい。」と言われました。

谷原先生のお話しで特に印象的だったのは、「業捨は霊能力や

不思議なものじゃない。血管の掃除をしているだけ。血管の掃除

だけで某大学病院の下請けもやってるの(笑)。どれだけ、医療が

発展しても、身体の中の「流れ」が詰まっとったら何にも

なりゃせん。私は有名なお医者にも『不思議な力を手に入れるには

どうすれば良いですか?』って聞かれるけど、そんなもん無いし、

あってもそんなもんに手を出したらいかんって言うんや」と言われ

たことです。

谷原先生は霊能者や不可思議現象を起こす方々を余り良く思って

おられず、医師にも多く頼られる為か、経験的なものだけでは無く

医学的知識も豊富で、業捨を冷静に考察されていました。

業捨をさせていただくことに―そして業捨から、業謝へ

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谷原先生のお言葉を頂いても、暫くは業捨をしなかったのですが、

様々な不思議現象が起こり、自然な流れで業捨をしなくてはいけ

ない状況になりました。

業捨をすると本当に不思議な事が起こります。

保江邦夫先生がご著書で紹介されている通り、病気が快方に向かう

だけではなく、その人の運命が変わり、周りの人達が変わるのです。

また受けたその人の病気が治ったり、トラブルが解消されるだけ

ではなく、受けた方にご縁のある人達にも変化の流れが起きはじめ

ました。

身体内の氣、血液の流れの変化が、身体外(日常生活)に転写される

のです。 あらゆる精神世界で言われる事を、クライアントさん達が

体験を通して教えて下さるのです。

谷原先生もご自身の著書にも書かれているのですが「業とは個人

のもの」とあり、私も最初はそう考えていましたが、現実の現象を

丁寧にみてみると、業は仏教の「諸法無我」の教えの通り、全て

の業は繋がっています。

そういった観点を基に、東洋医学における経絡理論や解剖学、

生理学、免疫学の観点から皮膚について研究し、また皮膚と意識

との繋がりを追及するために、集合的無意識における深層心理学や、

仏教における唯識論、また野口整体などの各種身体技法からも業捨

を見直しました。その結果、皮膚と潜在意識の関係性に気付き、

更に古神道の秘儀に触れる機会をいただく中で、私は「業」に対する

考察を深め、ある考えに至りました。

それは、業捨では、業を悪いものと捉え、「捨てるべきもの」 とする

が、業は捨てるべき不要なものではなく、今までの人生で自分を影から

支え、守ってくれた存在であるということです。
それを気付かせてくれたのが、ある武の達人と、古神道の秘技を極めら

れた神官の共通した、業捨中の反応でした。普通、業捨を受けると業覚

による痛みから痛みを訴えるか、黙って耐えられるかの反応ですが、

お二人は違いました。

業捨の最初から最後まで、業覚(業が認識される、痛みの体感覚)を

感じられる度に「有り難うございます。」を唱えられていたのです。

お二人にお聞きすると、業に感謝して有り難うございますと唱えると、

苦痛は軽減され何も考えられなくなると言われました。

今まで自分を生かしてくれた業の真意を理解し、業と対立し排除する

時代から、業に対して感謝する時代へとすでに移行したことを感じた

私は、谷原先生より拝受した「業捨」に敬意を表し、同じ音(コト

ダマ)の「業謝」へと、謹んで改名するに至りました。

負を正のエネルギーリサイクルするのが、「業謝行」なのです。

 

なぜ“奇跡的治癒”があるのか? ー手を当てて、「症状を作ってくれて有り難う」と思う

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これまで数多くのクライアントさんと治療現場で向き合っていくうちに、

気付かせていただいたことがあります。それは、「なぜ人は病気になる

のか?人にはなぜ奇跡的治癒があるのか?」ということです。
私もかつて、それまでの治療の方向性に迷い、壁にぶつかっていた時が

ありました。というのも、治療家である自分自身が身体を壊してしまっ

たからです。そんな時、私の武の恩師が講師を務められる講習会に参加

しました。その時、檀上で師はこうおっしゃいました。
「道を極め天地一体となれば、理論や技術を越えた、自然治癒力を引き出

す事の出来る『手』は自然と養われるのではないか?」と。
その言葉を受け、私はこれまでの考え方を大きく方向転換をすることに

なりました。私は、 テクニックを追い求め続け自分自身の身体を壊して

しまっていました。しかしそれは、病気が悪いという意識が自分の中に

あるからだということに思い至ったのです。
病気は、「悪い」ものではありません。整体・療術の大家である故・

野口晴哉師は「病を経過させる」との金言を残されました。すなわち、

病を排除、根絶するのではなく、うまく経過させることが本来のある

べき病に対するアプローチだということに気が付いたのです。
テクニックではなく、症状をデザインしてくれた、大いなる存在に

感謝する。クライアントさんの体に手を当てて「症状を作ってくれ

て有り難うございます。○○さん(クライアントさん)に代わって、

今まで労らなくてごめんなさい。」と相手の肉体意識(潜在意識)に

感謝するのです。そうすると、自ずと病はうまく経過していきます。
また何よりもクライアントさんが感謝の気持ちに観応して安心感を感じ、

そのことによりクライアントさんの周りで起こるべきこと(必然の流れ)

が起こり、結果として短時間で病は経過します。これが、「奇跡的治癒」

と呼ばれる由縁です。クライアントさんがそうした病の経過経験を積み

重ねていくことで、受け入れる心が養われます。すると、自ずとクライ

アントさん自身の人生観が変わり、運が開けていくようになりました。

 

 

不思議の会

 

 

食べ物で運命が変わる 水野南北

<感謝の杜より転載>

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【コラム☆感謝の杜】何を食べるかで、その人の人相や運命までも変わる!

充ち足りた日々も学びから☆+゜~コラム☆感謝の杜(かんしゃのもり)です。

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(江戸時代の観相家 水野南北)

江戸時代中期の観相師、水野南北は、人相と人の運命に相関関係があることに気付いてから「観相学」に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業3年、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究を実施して観相学の蘊奥を究め「南北相法」を完成し、節食が運勢を改善することを唱えた人です。

今回は、「人の運勢はその人が何を食べるかによって決まる」という水野南北の教えを紹介します。

  

幼くして両親を亡くし鍛冶屋をしていた叔父「弥助」夫婦に育てられる。子供の頃(10歳)より盗み酒を覚え、酒代に窮して叔父の稼ぎ集めた虎の子を持ち逃げし、天満(大阪市北区)で酒と博打と喧嘩に明け暮れ家業の鍛冶職鍵錠前造りから「鍵屋熊太」と呼ばれる無頼の徒となった。

刃傷沙汰を繰り返し、 18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、天満の牢屋に入れられる。牢内で人相と人の運命に相関関係があることに気づき観相に関心を持つようになる。

出牢後、人相見から顔に死相が出ていると言われ、運命転換のため、慈雲山瑞竜寺(鉄眼寺)に出家を願い出たところ、「半年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」といわれ、堂島川で川仲仕をしながら言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相が消えたばかりでなく、運勢が改善してしまった。

こうした体験から観相学に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業3年、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究を実施して観相学の蘊奥を究め南北相法を完成し、節食が運勢を改善することを唱えた。

観相師、水野南北は小さい頃、大阪で「くすぼり」と呼ばれる、一人前の極道になりきれない半端ヤクザでした。
5歳で両親を亡くし10歳で酒を覚え、ぐれ始めます
。不良仲間と恐喝・強盗を繰り返し一年間牢屋敷に投獄された事もありました。
21歳の時、ある通りがかりの乞食坊主から「顔に死相が出ているぞ」と言われたのをきっかけにその乞食坊主に弟子入りをしました。

「死相」を指摘されてから半年間の粗食を開始しました。
当初、極道家業で奢(おご)っていた口が、味付けもしない素のままの白豆や麦を受付ませんでしたが「美味しくないのは腹が空かないから」と境内の掃除などの肉体労働も積極的にして行きます。
不思議な事に半月ばかり経つと、味気なかった粗食が柔らかな甘みを帯びて舌に感じられるようになり、顔つきまでが明るくなって来たのです。そして、とうとう「死相」が消えてしまったのでした。
乞食坊主は言いました。
「人間が生涯に食い尽くす食物の量は決まっている。それゆえ暴飲暴食をすれば命短く、食を慎めば天禄(天から受ける幸福)を食い延ばせる。
更に、腹減らしの為に行った、寺の掃除・草むしり・墓の清め、などの善業が死霊に取り付かれていたお前を地獄から救いあげたのじゃ。
大体、極道無頼の生活は放埓(ほうらつ)不規則で、女色に溺れ、血の気の多い魚肉や鳥獣の肉を食らって酔いどれているから、ちょっと刺激すればたちまち棘毛(とげげ)を逆立てるヤマアラシの様な気質を持っている。
食い物や酒が血を暴れさせていたのだ。
そんなお前が細々と麦を食い白豆を噛み、麦湯すすり込んでいるのである。
これでは剣難の相どころか口論する気迫も根性も萎えしぼんでしまうのも当然であろう。」

食と性格・気質の関係では次のような事例が挙げられます。

江戸の牢獄では頑固に自白を拒み続ける囚人に味噌汁や沢庵(たくあん)を食わせず「塩」を抜きました、すると数日しない間に囚人の全身から気力が抜け、意地も張りもこらえ性も無くなって白状してしまったと言います。
また、血の滴(したた)る魚肉や酒を飲食している漁夫と、穀物や野菜を常食とする農夫達とでは激しい気質と温和さの相関を見る事が出来るのです。
そもそも、相法とは「人間の五臓六腑の病気や気性はその人の顔や姿に現れる」と言う事から医学の一分野でありましたが、紀元前770~403年に漢方医学から分離して人相学だけが独立したと言います。
これは、おびただしい数の人間の運命の共通点を顔貌(がんぼう)や肢態、体質、性格、手相などから総合的に判断し割り出した統計から来ているのです。

水野南北は万人観相の実学への志から、人の顔を眺める為に髪結所(かみゆいどころ)で三年、更に人の裸(人体)を眺める為に風呂屋の下働きや、死顔の研究の為に千日墓所の火葬場にまでもぐり込み、人間をよくよく観察しました。

こうした変転の末1787年「相師」の表看板を上げ観相師としての第一歩を踏み出しました。
千人・万人観相の実証を根とした彼の相法は「黙って座れば、ぴたりと当る」と評判となり客・弟子とも急激に増えていったと言います。
1812年、伊勢大神宮へ相法の奥秘を求め旅立ちました。
そして21日間の断食・荒行の末「食」をみつめ「運命」を観じる「食の相法」の極意を得たのです。

南北は人間の相や運命の中心に「食」があると言います。
「運命と言う字は命を運ぶと書く。食は命を養う根本、命は食に従う。
人間生涯の吉凶ことごとく食より起こる。
人間には天から与えられた天禄(食)に限りがある。
身の程を超えた美食や暴飲暴食をする者は、例え良い相に恵まれていても、ついには天禄を食いつぶして災厄に見舞われる。食の多少を聞き、その上で生涯の吉凶を判じるようになって以来、万に一つの観あやまり無し!
美味を多く食い、あるいは大食する者は皆、濁肉となって生涯出世発達無し。
それ、大食をなし満腹の後は身重くなり自ら眠気さす。
覚めて身だるく面重くなる。
分限より大食をなす物、皆、濁肉となり生涯事をなさず、大いに凶である。
分限より粗食する者は例え貧弱の相であっても福寿を司る。
が、粗食とは言え大食で定まりの無い者は大凶である。

酒肉を多く摂る者は皮膚も肉も締まらず、血は濁り、骨は脆(もろ)くなり、心気ゆるみ、意識おのずから増長し、ついには悪心を生じるものである。
大食で食の定まらね者は慎まねば生涯身上おさまり悪く、また一時は治まっても末長くは治まりがたい。
ついには病を生じ家を損じる。
食不同で定まりの無い者は、相学上の顔良くても凶である。
全てが不安定で食を慎まねば生涯安堵を得がたい。・・・
しかれば、食は命を養う根源、恐るべきは食なり。慎むべきは食なり。ああ、食たり。」

南北相法の素晴らしさは適中(あて)る「運命論」相法を超え、「慎食」によってその人相、運命を変えうる物とした「適中を誇るべきではなく、人間を救う」という所にあったのでした。

「観相学」の太家として知られている水野南北ですが、21日間の断食・荒行を行ったり、
> 人の顔を眺める為に髪結所(かみゆいどころ)で三年、更に人の裸(人体)を眺める為に風呂屋の下働きや、死顔の研究の為に千日墓所の火葬場にまでもぐり込み、人間をよくよく観察しました。<
など、その徹底ぶりがすごいです。

しかも、その追究は「観相学」というカテゴリーを越えて、「医学」「哲学」など人生の全てに及んでおり、彼をそこまで突き動かしたのは「少しでも多くの人間を救いたい」という人類に対する深い愛情だったのではないかと思います。

<転載終わり>

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 水野南北については、中矢伸一先生の著書で知りました。食については日月神示とほぼ同じことを述べています。

 人間の運命は食に左右されると言われても、ほとんどの人はあまりピンと来ないのではないかと思います。 食べ物なんかで人生が良くなるとは、信じ難いのではないでしょうか。

 チンピラで酒を飲んでは、ケンカばかりしていた水野南北が、麦と大豆だけで半年過ごしたところ、運が開けて来たというのが面白いと思います。食と運には関係があるということを理解した水野南北は、更に研究するため風呂屋や火葬場で人間について観察したそうです。何万人もの食とその人生を研究する内に、真理を見つけるに至ったということです。

  また、粗食であっても大食すれば、大凶だというのも面白いと思いました。日月神示にあるように、「五穀野菜を腹八分」というのが、運を開くキーだそうです。実践するのは難しいと思うかも知れませんが、これも慣れの問題ですので、三ヶ月くらい続けば、あとは無理なく実行できます。100%ではなくて、なるべく「五穀野菜を腹八分」で良いと思います。

 私は日月神示に出合った12年前から、「五穀野菜を腹八分」を実践していますが、かなり運が良くなりました。人生で今が一番充実していて、楽しいですから幸せです。

 

コロナ禍で働き方が本格的に変わりだした

<「金貸しは、国家を相手に金を貸す」より転載>

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コロナ禍で、働き方が本格的に変わりだす。

政府による働き方改革では、一向に効果が見えなかった。
しかし、コロナの影響で強制的にテレワークなどが進み、その実効性を試すことになった。

結果、すべてとはならないが、多くの職場でテレワークでのある程度機能することが認識された。

何よりも、東京の異常な通勤ラッシュからの解放は、多くの人たちに感動を与えたようだ。

「本格的に働き方が変わる」皆が期待しだした。
富士通が先陣を切って、全面的な見直しを本格的に行ってくれました。

通勤ラッシュを嫌う新入社員を確保しようとすると、テレワーク、時差通勤などが当たり前としないと新人の来ない会社になってしまうかもしれません。

働き方の形態が変わるという事は、その中身も見直されるという事になります。

日本の社会の仕組みが大きく変わりだします。

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https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2007/06/news105.html より
 「通勤という概念なくす」 富士通がオフィス半減、テレワーク全面導入へ その働き方の全容とは?

富士通は7月6日、2022年度末までにオフィスの規模を半減すると発表した。今後は約8万人の国内グループ社員を対象に、在宅勤務を標準とした働き方に移行する。20年7月をめどにコアタイムのないフレックス勤務制度を導入する他、通勤定期券を廃止し、代わりに月額5000円の手当を支給する。「通勤という概念をなくす」「社員が生活と仕事の時間配分を自ら考えられるようにする」と、富士通の平松浩樹執行役員常務(総務・人事本部長)は話す。

富士通の平松浩樹執行役員常務(総務・人事本部長)
富士通は新型コロナウイルス感染拡大を踏まえてテレワークを推進し、現在はオフィスへの出勤率を従来の約25%に抑えている。だが、「生活様式や価値観が大きく変わったため、勤務制度、手当、福利厚生、IT環境を全面的に見直し、仕事内容や目的、ライフスタイルに応じた最適な働き方を取り入れる必要がある」(平松常務)と判断して働き方の刷新を決めた。
■廃止せず残すオフィスは3種類
廃止せず残すオフィスは2種類に分ける他、外部のシェアオフィスの契約数を拡大し、それぞれに異なる環境を用意。業務上の都合で出勤が必要な場合や、勤務環境を変えてリフレッシュしたい場合などに、社員が目的に応じて使い分けられるようにする。
既存のオフィスは、主要拠点であり社内外の交流の場として使える「Hub Office」、高性能なビデオ会議システムを備え、ミーティングの拠点として使える「Satellite Office」の2種類に再整備する。
外部のシェアオフィスは、都心や郊外の駅に近接する物件を中心に契約。社員が出張や往訪を余儀なくされた場合に、すきま時間に働けるようにする。社内では「Home & Shared Office」と呼称する。

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1)

 

■3種類のオフィスを用意する
出勤した社員の勤務状況は、子会社・富士通アドバンストエンジニアリングのトラッキングシステム「EXBOARD OFFICE」で管理する。PCやスマホのWi-Fi接続状況をもとに、誰がどこにいるかを特定できるもので、新型コロナウイルスの感染者が出た場合に備え、社員の行動履歴を把握する。

フロアに人が密集しないよう、取得したデータはレイアウトの変更に生かす。打ち合わせの際などに、アサインした人を探す手間を省く効果も見込む。
「社員の意見を調査したところ、従来のオフィスに戻りたい人は少数派だった。出勤時の用途に合わせてオフィスを最適化するのが社員の望みであり、これに応えた」(平松常務)

 

<転載終わり>

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 政府の働き方改革ではほとんど効果がありませんでしたが、コロナ禍の影響でテレワークが導入され、働き方が大きく変わってきました。何とも皮肉な結果になっています。

 富士通では「通勤という概念を無くす」ということで、会社への出勤は従来の25%ほどだそうです。オフィスも半分ほど減らし、今後は単身赴任も無くしていくとのことです。

 東京では通勤の混雑が減るだけでもありがたいことです。また、通勤に平均で往復2時間半くらいはかかるので、それが75%も減るのであれば、ずいぶんラクですね。

 コロナの影響で人も企業も変化しています。日月神示には、「都会が鄙(ひな:田舎)になる」とあるので、少しずつ都内から人が減ってくるのかもしれません。

 

 

・金貸しは国家相手に金を貸す


対戦相手の成功を祈るタイガーウッズ  開運の秘訣

<「黄金の金玉を知らないか?」 より転載>

さて、皆様は 夢がどんどん叶ってく。 何も苦労しないでもポンポン気持ち良く思いが叶う人生と。 何事もうまくいかない。 トラブル続きで嫌なことばかり起きる願いが叶わない人生。 どっちが良いですか。

 まぁ、当たり前ですが誰もが前者ですよね。 なるほど~ ワタスは最近、前者になるコツというか。 運が良くなるコツがつかめたというか。 以前こんな記事を載せますた。

 感情クリアニングリンク より 潜在意識は、よくコップの中の水に例えられる。 悪い影響を受け続けてしまっている人は、コップの水が濁っている状態。 何をやっても上手くいく人は、コップの水が澄んで透明な状態。 コップの水を「心に入れるもの」と例えて、 いつも何を入れているかが問題なんだ。   いつも心に何を入れていますか? 妬み、恨み、惨めさ、恐れ、悲しみ、不安、嫌悪、 困惑、罪の意識、詰まらない、恥ずかしい もしも、そんな気持ちでいっぱいだったら、当然ながら 心の中の水(潜在意識)は黒く濁り、不幸を毎日のように引き寄せる。

 応援、希望、楽しさ、満足、安心、勇気、 快感、喜び、幸せ、豊かさ、感謝 もしもこんな感情でいつも満たされているなら、 心の中の水(潜在意識)は澄み切って透明で光輝き、 あなたの元へは幸運なことしかやってこない。 そう。 要するに、潜在意識。 潜在意識にいやーな思いを貯めなきゃ良い。 悪想念を貯めなきゃ運が良くなる。 ひじょーに単純なこの話。

 例えばタイガーウッズさんの話。 スポーツの試合で、どうしても勝ちたくて【あ~相手がミスればいいのに】【相手のシュートが入るな ! 】などと思うことが、ありますね! それは、知らないまま自分で自分に呪いをかけていることになっているのです。 反対に、相手を褒めれば、自分が褒められたのと同じ状態に。 反対に相手を褒めてあげると、自分が褒められたと思い、気分が良くなり自尊意識が高まります。

タイガーウッズは、ココ一番の大勝負の瞬間、対戦相手が上手くいきますように!と祈るそうです。 相手という自分に余計な呪いをかけない!だから自分を妨げる思いが少ないのです。その結果あれだけの成果を出せるのです。 凡人とは逆の思考なのです。 この脳の特性を理解し、良い言葉を日常的に使うようにしましょう。 相手にかける言葉を大切にすることが、結果的には自分自身も大切にしていることにつながります。

 そうこれ。 良くネットなどで人の悪口を言ったり。 今の世の中に対する不平不満。 呪いの言葉を発散させてる人を見ます。 潜在意識のことを知ってたら決してやらないことをやってますよね。 正直、これはかなり損なのですね。 自分からいやーな言葉を出すと特に潜在意識に悪い。 潜在意識に悪想念が刻み込まれてしまう。 だから自分に呪いをかけてるのと一緒なんですね。 ネットで悪口ばかり言ってる人の人生はたいてい願いが叶わない停滞の人生です。 自分で好んでやってるのだからしょうがない。

 例えば、過去にいやーーな目に合った人。 学校でいじめられたとか。 職場でいじめられたとか。 未だに人を恨んでる人。 そういう人も可哀そうですが、これからもずーっと不幸になる可能性がある。 その人の人生は過去にしばられる人生なのですね。 潜在意識には、恨みつらみが溜まってしまってる。 職場で怒られて、くよくよしても潜在意識に悪い。 怒った方はすっかり忘れてる。 怒られて悩んでる方が損。 いかん。 そう気づいたら今すぐこの瞬間に切り替えること。 潜在意識に悪想念を流し込むのをストップする。

 ケタケタケタ。 あー良い天気だ!綺麗な景色を見るとか。 どっかに出かけよーとか。 今すぐお笑い番組を見てケタケタ笑うとか。 応援、希望、楽しさ、満足、安心、勇気、快感、喜び、幸せ、豊かさ、感謝。 とにかく、そっちの方の想念を潜在意識に貯めることです。 そうするとある瞬間、運が好転していく感覚を覚える。 あらぁ?なんでもスイスイ進む。 なぜか願いが叶う。なにこれ?

 ほんと騙されたと思ってやってみて下さい。 だいたい1ヵ月ぐらいでしょうか。 ワタスの実体験です。 誰にでも必ずそういう瞬間がやって来るのだと思ってます。

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<転載終わり>

 以前掲載した記事ですが、その後も潜在意識が運に影響することを経験してきたので、再度アップしました。

 

 潜在意識が人間の運を左右するとは昨年まで気が付きませんでした。日月神示にあるように、運は食べ物を摂することなどで上がると考えてきましたが、潜在意識も影響することがわかりました。

 玉蔵さんも1ヶ月くらい実践すれば、実感できるといわれていますが、私も同じような体験をしました。特にタイガーウッズさんがやっている対戦相手の幸運を祈るというのは、とても効果があります。自分の苦手な人の幸せを祈るのは、気持ちが入りませんが、神棚の前で声に出していると、いつの間にか苦手な人がいなくなっていました。不思議ですね。

 運も良くなりますが、苦手な人がいなくなるので、自分がいつも平穏でいられます。ストレスの少ない生き方はラクでいいですね。

 日月神示にも「今の自分の環境に文句を言うな、それは自分が招いたことだ」とありますが、結局そういうことなのでしょうね。他人や環境のせいにしたくなりますが、本当は自分が招いているということが昨年からわかってきました。

 

 

黄金の金玉を知らないか?

新型コロナウイルスに対する理論的、理性的な見解  高橋泰医学博士

< live door Newsより転載>

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 東京都を中心に新型コロナウイルスの検査で陽性と判明する人が増加している。東京都は15日、警戒レベルを4段階のうち最も深刻な「感染が拡大していると思われる」に引き上げた。ただ、無症状者や軽症者が多く、専門家の間でもレベルを引き上げるかどうかでは意見が割れたという。また、2月から現在までの5カ月余りの間に日本で新型コロナにより亡くなった人は1000人に及ばず、例年のインフルエンザ死亡の3分の1にとどまる。新型コロナウイルスの流行当初の予測や欧米の被害実態とも大きなギャップがある。

国際医療福祉大学の高橋泰教授は、新型コロナの臨床に関わる論文から仮説を立て、公表データを使って「感染7段階モデル」を作成した。ファクト(事実)に基づくわかりやすいモデルで新型コロナの特性を説明し、適切な対策をとるための議論を活発化したいという。高橋教授に話を聞いた。

新型コロナとインフルエンザには大きな違い

――足元では新型コロナウイルスの流行再拡大の不安が広がっています。10万人死ぬ、といった予測も流布していますが、先生はそうした見方を否定していますね。

発表されている数字はあくまでもPCR検査で判明した「PCR陽性者判明数」であり、正確には「感染者数」ではない。もちろん「発症者数」でもない。特に若年者の場合、PCR陽性者が発症する可能性は低く、多くが無症状・軽微な症状で治ってしまう。また「数十万人が死ぬ」といった予測は、新型コロナウイルスについての前提が間違っていると考えている。

――ではその辺りの説明と、作成された新型コロナの「感染7段階モデル」の狙いを教えてください。

新型コロナは、全国民の関心事ながら「木を見て森を見ず」の状態で全体像が見えてこない。そこで、ファクト(事実)を基に、全体像が見通せ、かつ数値化できるモデルを作ろうと思った。それが「感染7段階モデル」だ。新型コロナの感染ステージをStage0からStage6までの7段階に分けて、それぞれに至る確率やそれに関わる要因を見える化したものだ。

新型コロナウイルスは、初期から中盤までは、暴露力(体内に入り込む力)は強いが、伝染力と毒性は弱く、かかっても多くの場合は無症状か風邪の症状程度で終わるおとなしいウイルスである。しかし、1万~2.5万人に1人程度という非常に低い確率ではあるが、サイトカイン・ストームや血栓形成という状況を引き起こし、肺を中心に多臓器の重篤な障害により、高齢者を中心に罹患者を死に至らせてしまう。

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このウイルスの性質の特徴は、自身が繁殖するために人体に発見されないように毒性が弱くなっていることだ。したがって、一定量増殖しないと人体の側に対抗するための抗体ができない。そしてまれに宿主となる人体の免疫を狂わせ殺してしまうこともある。

日本も含めた各国でそれぞれ数十万人死亡するというような、当初流布された予想は大きく外れた。その原因はインフルエンザをベースとしたモデルを使っているためだと思われる。2つのウイルスには大きな違いがある。

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高橋泰(たかはし・たい)/国際医療福祉大学大学院教授。金沢大学医学部卒、東大病院研修医、東京大学大学院医学系研究科修了。東京大学医学博士(医療情報)。スタンフォード大学アジア太平洋研究所、ハーバード大学公衆衛生校に留学後、1997年から現職。社会保障国民会議や日本創生会議などにおいて高齢者の急増、若年人口の減少に対応した医療・介護提供体制の整備の必要性を提言。地域医療構想などの先鞭をつける。2016年9月より内閣未来投資会議・構造改革徹底推進会合医療福祉部門副会長。新型コロナウイルスについて、東京都の専門家会議では年代別対策の提言が取り上げられた(撮影:尾形文繁)

――新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスの違いをご説明ください。

病原体が体内に入ると、まず貪食細胞(マクロファージ)などを中心とする自然免疫が働く。次に数日かかって獲得免疫が動き出し、抗体ができる。

(注)自然免疫: 侵入してきた病原体を感知し排除しようとする生体の仕組み。外敵への攻撃能力はあまり高くないが、常時体内を巡回している警察官に相当する。
獲得免疫:病原体を他のものと区別して見分け、それを記憶することで、同じ病原体に出会ったときに効果的に排除する仕組み。1種類の外敵にしか対応しないが殺傷能力の高い抗体というミサイルで敵を殲滅する軍隊に相当する。

インフルエンザの場合は、ウイルス自体の毒性が強く、すぐに、鼻汁、咳、筋肉痛、熱と明らかな症状が出る。暴れまくるので、生体(人の体)はすぐに抗体、いわば軍隊の発動を命令し、発症後2日~1週間で獲得免疫が立ち上がり、抗体ができてくる。よって、抗体検査を行えば、ほぼ全ケースで「陽性」となる。多くのケースにおいて生体側が獲得免疫で抑え込み、1週間~10日の短期で治癒する。だが、抑え込みに失敗すると肺炎が広がり、死に至ることもある。

毒性が弱いので獲得免疫がなかなか立ち上がらない

新型コロナはどうか。今年5月6日のJAMA Published online(The Journal of the American Medical Association、『アメリカ医師会雑誌』)に発表された「新型コロナの診断テストの解釈」という論文に、新型コロナは抗体の発動が非常に遅いことが報告された。

私の研究チームはこの現象を、新型コロナは毒性が弱いため、生体が抗体を出すほどの外敵ではなく自然免疫での処理で十分と判断しているのではないかと解釈し、「なかなか獲得免疫が動き出さないが、その間に自然免疫が新型コロナを処理してしまい、治ってしまうことが多い」という仮説を立てた。

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こうした仮説で想定した状態が実際に存在するなら、この時期の人は無症状または風邪のような症状であり、自身が新型コロナに感染したという自覚がないうちに治ってしまう。もしこの時期にPCR検査を行えれば、新型コロナは体にいるのでPCR陽性となることもある。一方、まだ抗体はできていないので、抗体検査を行えば当然「陰性」となる。そして、その後、症状が進んで獲得免疫が発動しても新型コロナを抑え込めなかったごく一部の人でサイトカイン・ストームが起きてしまい、死に至ることもある。

(注)サイトカイン・ストーム:免疫システムの暴走。免疫細胞の制御ができなくなり、正常な細胞まで免疫が攻撃して死に至ることもある。

――第2波が来たら日本は脆弱だという見方も根強くあります。

抗体検査を行ったところ、ロンドンで16.7%、ニューヨークは12.3%、東京が0.1%だった。これをインフルエンザと同じような感染症モデルで考えると、東京では感染防止は完璧だったが、抗体を持つ人が少ないので、次に防御に失敗したら多くの死者が出る、という解釈になる。このような解釈には、強い疑義を持つ必要がある。

日本は強力なロックダウンを実施しておらず、新型コロナに暴露した人が欧米より極端に少ないとは考えにくい。むしろ先に述べた「これまで多くの人が新型コロナにすでに感染しているが、自然免疫でほとんどの人が治っている」という仮説に立って、抗体ができる前に治っているので、抗体陽性者が少ないと考えるほうが自然であろう。

この仮説を用いれば、無症状のPCR陽性者が数多く発生している現状の説明もできる。第2波が来ても、自然免疫の強さは日本人にとって強い助けとなり、再び欧米より被害が軽くなるという考え方が成り立つ。

日本では暴露した人が多いが自然免疫で98%治癒

――「感染7段階モデル」により新型コロナの感染や症状に関わる要因を数値化してみたということですね。

新型コロナの患者数を予測するために使えるデータが現状では非常に限られる。かかった人の重症化率や死亡率という最も基本的なデータすらない。

新型コロナの全体像を把握するためには、全国の暴露者数を推計することが大切なので、①全国民1億2644万人、②年代別患者数の実数値、③抗体陽性率推計値(東京大学の推計と神戸市民病院の推計)を使って、パラメータである暴露率(新型コロナが体内に入る率)をいくつか設定し、動かしながら、実際の重症者や死亡者のデータに当てはまりのよいものを探るシミュレーションを行った。

シミュレーションの結果の概略はこうだ。

まず、国民の少なくとも3割程度がすでに新型コロナの暴露を経験したとみられる。暴露率はいろいろやってみたが、30~45%が妥当だろう。そして、暴露した人の98%がステージ1かステージ2、すなわち無症状か風邪の症状で済む。すなわち自然免疫までで終了する。

獲得免疫が出動(抗体が陽性になる)するステージ3、ステージ4に至る人は暴露者の2%程度で、そのうち、サイトカイン・ストームが発生して重症化するステージ5に進む人は、20代では暴露した人10万人中5人、30~59歳では同1万人中3人、60~69歳では同1000人中1.5人、70歳以上では同1000人中3人程度ということになった。

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あくまでもデータが限られる中での大ざっぱなシミュレーションだが、今後、データがもっと明らかになれば精緻化できる。

――欧米との死者数の違いに大きな関心が寄せられています。

日本の死者数が欧米の100分の1であることについて、以下のような3つの要因の差という仮説で試算を試みた。

まず、第1に暴露率。日本の場合、重症化しやすい「高齢者の暴露率」が低かったのが効いたのではないか。例えば特別養護老人ホームではインフルエンザやノロウイルスの流行する季節は家族の面会も禁じている。これらウイルスに対する対策も取られている。高齢者の外出自粛など自発的な隔離も積極的に行われた。他方、海外では介護施設や老人ホームのクラスター化による死者数が多い。「高齢者の暴露率」は日本が10%、欧米が40%と設定してみた。

自然免疫力のわずかな差が大きな違いを生む

第2に、自然免疫力。自然免疫で治る人の比率が欧米より日本人(アジア人)のほうが高く、その結果「軽症以上の発症比率」が低くなるが、抗体陽性率も低くなる。自然免疫力(特に細胞性免疫)の強化にBCGの日本株とロシア株が関与した可能性は高いとみている。

「(暴露した人の)軽症以上の発症比率」については、自然免疫力が標準分布と仮定し、シミュレーションの結果を当てはめると、自然免疫で処理できる率が日本人は98%で、対応できないのは2%ということになる。

日本では、新型コロナにかかった人が次の人にうつしても、その大半が自然免疫で処理され、次の人への感染につながらない。すなわち新型コロナ感染のチェーンが切れやすい。よほど多くの人に暴露を行わないと、そこで感染が途切れる可能性が高い。一方、抗体陽性率から考えると欧米では自然免疫で対応できずしっかり発症する人が、日本よりもはるかに多いと考えられるので、「軽症以上の発症比率」を日本の5倍の10%と想定した。

日本と欧米の自然免疫力の差をそれぞれ2%と20%と想定すると、両者の差はわずかに見えるかもしれないが、このわずかな差が欧米と日本の新型コロナ被害の大きな差を生んだ可能性が高い。欧米では感染後、しっかり発症して他の人にうつす、再生産確率が高いため、日本と比べて感染スピードが速く、かつ感染拡大のチェーンが途切れないということになる。

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第3は、「発症者死亡率」。日本は欧米に比べて低いと考えられる。その理由としては、欧米人に比べて血栓ができにくいことがある。サイトカイン・ストームが起きても、日本のほうが重症化する可能性が低いと考えられる。「発症者死亡率」は、日本では0~69歳で0.01%、70歳以上では40倍の0.4%だが、欧州は0~69歳で0.05%、70歳以上が2%とした。

他の条件は変わらないという前提で、このような数字を設定すると、10万人当たり日本の死亡者は0.9人、ベルギーの死亡者は82人となり、現在の実態とほぼ一致する。「暴露率、軽症以上の発症比率、発症者死亡率の数字の設定はもちろん仮説的なものであり信頼性は低い。だが、全部の数字を掛けたり足したりして求められる日本の死亡率が、欧米の死亡率の100分の1になる必要があるので、3要因のいずれか、またはすべてにおいて、日本が欧米に大きく勝っていることは間違いない。

死者は最大で3800人、検査ではなく重症化対策を

――緊急事態宣言の解除後は「感染者数」、正確には検査でPCR陽性とわかった人の数ですが、増えています。しかし、自然免疫で98%も治るとすれば、とるべき対策は違ってきます。

PCR検査でどこから見ても元気な人を捕捉することには大きな問題があると考えている。PCR検査はコロナウイルスの遺伝子を探すものなので、体内に入って自然免疫で叩かれてしまい他の人にうつす危険性のないウイルスの死骸でも、陽性になってしまう。発症可能性がゼロに近い抗体陽性者でも、再度新型コロナウイルスが体内に入った時点で検査を行えば陽性になる。

また、新型コロナウイルスにとって東京は人口密度が高く、そうした中でもいわゆる3密を形成するような、ウイルスが生き延びるための条件が揃う場所がある。だが、地方ではそうした場所ができにくい。98%自然免疫で処理されるので、人が密集していないと、次の人にうつしていくチェーンがすぐ途切れてしまうからだ。

――7月15日、東京都は警戒レベルを最高に引き上げました。しかし、怖くなってまた活動制限を行うことは適切ではないということですね。

日本ではこれまでのところ、人口10万人に対し0.8人が亡くなっている。われわれは自然免疫の存在を重視しており、それを前提としたシミュレーションでは、新型コロナウイルスが現状の性格を維持する限り、どんなに広がっても10万人中3人以上、つまり全国で3800人以上死ぬことはなさそうだというのが、結論の一つだ。

一方、人口10万人に対して16人、全国で2万人強が自殺で亡くなっている。過去に景気が悪化したときは3万人を超えて10万人当たり24人になった。そうであれば、10万人対比で見て、新型コロナによって2人亡くなるのを防ぐために、景気悪化で8人の死者を増やすのかということになる。対策のメリットとデメリットのバランスを考えないといけないのではないか。

また、ステイホームによって肥満の人が増えると、ACE2受容体が増加し、新型コロナの感染リスクも血栓形成のリスクも高まる。社会活動の停止で暴露率は下がっても、感染率や重症化率が上がる。そうしたバランスも考える必要があるだろう。


<転載終わり>
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 昨日は東京で新型コロナウイルスの感染者が366人、大阪103人だそうです。
5月よりも多くなっていますが、PCR検査を5月の7倍も行っていますので、当然感染者は多くなります。当たり前ですね。

 不思議なのは、インフルエンザなどは「患者」といい、新型コロナの場合は「感染者」と言っています。新型コロナの感染者の98%は無症状ですので、「患者」とは言えませんね。
 インフルエンザなどの病気と同じように、新型コロナを発病した「患者」の人数を発表するのが正しいように思います。

 ほとんどの人は重篤にはならないので、極度に心配する必要はないと思います。



live door News

業謝について 「玉響」4月号スペシャル対談  横田和典×C先生×中矢伸一

 

月刊「玉響」4月号のスペシャル対談の抜粋になります。

月刊「玉響」4月号、5月号は売り切れとなったそうです。今後「玉響」を読みたいと思われる方は、下記より年間購読をお勧めします。私も12年間購読しています。

・ショップ玉響

 

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スペシャル対談 4月号

宇宙の理に通じる不思議な世界(前編)

横田和典×C先生×中矢伸一

 

今回はご紹介する横田和典さんは、不思議な人である

武術の達人であり、魂導という独自の身体技術を駆使し

「業謝」という伝説の“メグリ取り”の手法を施す

そんな横田さんの真価を見抜いたのが

高野山で修行した、知る人ぞ知る能力者のC先生

C先生によれば、横田さんの魂は、源義経だという

中身の濃い鼎談のため、前後編に分ける形でお届けする

 

「業謝」との出会い

 

中矢 今月は、「不思議の会」を主宰されている横田和典さんと、そのお知り合いで能力者のC先生をお招きました。

先日、ひふみ農園の横堀幸一さんから、とても面白い人がいるから会ってみませんか?というお話をいただいたことがきっかけで、初めて横田さんとウチの社内でお会いし、お話を伺ったわけなんですが、たしかにすごく興味深いお話だったので、今回の『玉響』での対談させて頂く運びとなりました。

まずは横田さんのご活動について、改めてお聞きしたいと思います。

 

横田 現在は月に一度、大阪で「不思議の会」という会を開いています。普段は「業謝(ごうしゃ)」という、真言密教に伝わるある業を、希望者に対して施しています。もともと業謝というのは「業捨」と書き、「業を捨てる」という字だったんですが、僕は感謝の「謝」に替えて、読みは一緒なんですけど「業謝」としています。それともう一つやっているのが、この本にも書いてある「魂導(こどう)」という身体技術です。それを東京と大阪の二ヶ所で教えさせて頂いています。

 

中矢 横田さんの書かれたこの『宇宙の魂導』という本ですね。私も読ませて頂きましたが、非常に面白かったです。これに関連していろいろお聞きしたいところもあるんですが、まずは、その業謝について詳しく伺います。業というのは、要はカルマみたいなものですか?

 

横田 そうです。僕にそれを伝授してくださったのがTという先生で、そのT先生が、空海の法力で病を治すということをされていたのです。僕がお会いした時にはもうおじいちゃんでしたが、とても不思議な方で、西も東も両方のやくざの事務所に自由に入れるという立場にいた人なんです。どうしてそういうことが出来たかというと、入れ墨を入れると肝臓を傷めてしまうという話を聞いたことはありませんか?

 

中矢 はい。よくそういうことは聞きますね。

 

横田 そうしたことを癒すために、様々な人がT先生のもとに集まって来ていたんです。それこそやくざから政治家、スポーツ選手、芸能人など。みんなT先生のいる広島に通われていたんです。T先生ご自身も、やくざみたいな、ダライ・ラマをイカツくしたような人だったんです(笑)。僕はもともとT先生から業捨を受けるつもりはなかったんですよ。僕の武術の師匠と一緒に、弘法大師を祀られているT先生のお宅を訪れたことがきっかけです。

僕は鍼灸の免許も持っていたし、東洋医学による治療もしていたので、師匠から誘われて伺っただけで、あまり興味もなかったんです。その時、T先生は、後継者がいないということをおっしゃっていたようで、師匠から話を聞いている限りでは、<業捨というそんな難しいことされているんやったら、後継者も確かにおらんやろうな>って思っていたんですけど、T先生が出された本を見つけて読んだ時に、「僕もちょっと受けてみたいな」と。「いや、これは受けなあかん」と思ったんです。

僕は、育ちは大阪ですが、生まれが沖縄なんです。沖縄には107歳になる祖母がいました。血筋はユタ(沖縄県や奄美群島の霊媒師のこと。霊的問題のアドバイス、解決を生業とする)だったんですけど、もし僕がその業捨というものを受けたら、祖母が亡くなるんじゃないかなと直感的に感じたんですが、話の流れで広島まで行ったんです。

そうしたら、初めてお会いしたT先生は、ものすごい怖い顔で、技術を盗みに来るとかそういう奴が一番嫌いやと。で、目が合った途端に、「あんた、何しにきたんや」と言われるんです。予約が取れたから来ただけなのに、いきなり「あんた、何しに来たんや」と言われても困りますよね。

僕は当時、専門学校禅林学園(旧・日本少林寺武道専門学校)っていう、専門学校の講師もしておりまして、連れて行ってくれた師匠がうちの学校の講師をしていましたので、こうこう、こういう人物なんですって説明してくれたら、やっと納得してくれました。それでその後、T先生から業捨をしてもらうと、先生はすぐに「あんた、業ないな」って言われまして。それから施術はせずに、こんこんと話を聞かされました。なぜT先生が業捨を始めるようになったのかとか、どうやってできるようになったのかとか、いろんな有名人にも業捨をやってきたけど、結局人間というのはどういうものなのかとか。そんな話を延々とされるわけです。

1時間40分ぐらいたった後に、もうあんたはできるようになってるよって言われたんです。先ほども言ったように、業捨なんて僕は全然やる気はなかったんです。しかしT先生は、これは教えて出来ることじゃないと。業捨の真似事を勝手にやっているのは何人かいると言ってましたが、そんなん許したわけでもないし、やるのやったら勝手にやってもいいと思っていると。でも、弟子として認めるほど業捨が出来ている人はいないと言っていました。

しかし、「あんたはもう出来るから、ちょっとやってみい」と。僕は早く帰りたいから適当にやったんです。その3日後に、祖母が亡くなったんです。それ以降、業捨ができるようになったんです。結局、業捨というのは、僕は宇宙教育って言っているんですけど、カリキュラムに沿ってやっていくというのではなくて、例えは悪いかも知れないですが、ウイルスみたいに、うつるもんやったんですよ。

 

中矢 何か技のようなものを教えてもらったというのじゃなくて。

 

横田 そうです。話だけ1時間40分聞かされて、もうあんた、出来るようになっているからとおっしゃったんです。その時、最後に、もしわからんことがあったら遊びにおいでって言われました。でもそれ以降、わからなかったことも、わからないこともなかったし、行くことはなかったんですよ。本当に不思議なもので。

 

自分だけでなく家族のメグリまで出る

 

 

中矢 というと、業謝というのは病気治療みたいなことも含めての施療なのでしょうか?

 

横田 そのT先生いわく、密教の行に入門しても、いろんな邪魔が入ると。もともと持っているもの、それが業というのでしょうけど、その業を取り除いて密教に入らせるというのが業捨の由来やと。でも、べつに密教に入らなくても病気が治ったりとか、意識が変わったりとか、または運勢が変わるっていうことはあると。だからみんなが求めているものは、言うたら副産物で、真言密教というのはもっと言ったら「宇宙の道」なんでしょうけど、その道に入るための入り口や、というような言い方をされていました。

たしかに僕も、それはあると思います。もともと人間には、僕が言うところの「魂の計画」というものがあると思うんですよ。そこに至るまでの余計な不純物を取り除くのが業捨なんです。だけど、そのもの自体は、おそらく敵対するものではなくて、ある意味、自分自身の意識を変えたりとか、支えていたものだと思うんです。そのT先生なんかは、「あんたこんなに悪いことしているからこんなに出るんや」みたいな言い方をされていたんです。

それから例えば、中矢先生に業謝をした時に、中矢先生の奥さまの業が出たりするわけですよ。また、今日の出来事ですが、子どもが調子悪くて受けに来たというその方は、胃かいようとかも何もないのに、業謝をしたら胃の部分がものすごく赤黒く出ると。「(ご家族に)胃の悪い方おられます?」って聞くと、「じつは・・・」ってなるわけですよ。

結局それは何かっていうと、ユング心理学でいうところの集合的無意識のように、カルマ自体もおそらく、みんなが共有しているものがあるんじゃないか。で、それは敵対するものではなくて、その人の意識自体を成長させるために必要だということで、僕は業捨の捨を、謝にしたんです。感謝の謝に。

 

中矢 横堀さんも業謝を受けたそうですが、かなり痛かったそうですね。その施術自体は、どのような感じなのですか?

 

横田 痛くはないです。痛いと錯覚するんだと思うんですよ。だってこうやってこするだけですよ。

 

中矢 なるほど、指で軽くこするだけ。見た目には痛くはなさそうですね。

 

横田 痛いわけじゃないです。実際は、皮膚を直に撫でると滑らないんで、上半身にはTシャツ1枚、足だったら薄手のストッキングの上からこすります。男性がストッキングを穿くと特殊な格好になりますけど(笑)、ストッキングは傷つかないんです。力を入れてこすれば、薄いストッキングでしたら破れたり伝線したりしますよね。でも、そうはならないです。ならないけど、皮膚が赤黒くなったりしますね。

 

中矢 それは消えるんですか?

 

横田 消えます。その色は、水分を取ってもらえば毛細血管からまた吸収されて、腎臓でろ過されて、おしっこか便で排出物として色の濃いものが出ます。

 

中矢 痛いわけじゃないけど、痛いと感じることがある?

 

横田 痛くはないと思うんですけど、痛いって言われちゃうことはよくあります。東洋医学で言うところの汚血ですね。T先生は、これは簡単に言ったらドブ掃除と一緒なんですよと言ってました。溝に汚れが溜まっているから流れない。それをかき出しているだけやと。

この業謝によく似ているもので、「刮痧(かっさ)」というものがあります。「刮痧」というのは、大陸から韓国、そして日本に伝わってきたんですけど、石を使ってやったりとか、東南アジアで言うと、銅を使ってやったりするんですよ。物を使う理由は、直接手でやると、施術者自身が業を受けるからなんです。何か物の介在がないと危険で、その物で止めてしまおうとするという技術が「刮痧」です。実際に「刮痧」を日本に持ってこられたっていう有名な方も、昨日、私のところに来られたんですけど、この施術を手でやっているというのが信じられないと言ってました。

 

誰でも出来るものではないが、横田氏は出来る

 

中矢 C先生は高野山の真言密教で修行された方ですけど、業捨というのはご存じだったんでしょうか?

 

C 聞いたことはあります。ただ、見たことはなかったですね。自分を浄化するという意味で、入る前に滝行をやったりとか、そういうのはありましたが、その中の一環として業捨というものがあるとは聞いていました。ただ、実際にそれをやっている人というのは見たことがないんです。なぜかというと、それをやる人は3年も経たずに亡くなるからです。だから、“死にたくなければやるな”という言い方になっちゃうんです。

先ほど横田先生がおっしゃったように、物を介在するやり方でも出来るんですが、そうすると、気の通りということが問題になってくる。気の通りの悪い物だと、取れないんです。逆に、気の通りのいいやり方だと、そこで止まらずに施術者の方へ来ちゃうんです。だから長く業捨をやっていると、命を削られていくんです。

そういうことがあるので、業謝のすごさっていうのは、業謝ができるかどうかっていうことじゃないと思っています。ある程度の霊能力を持っていて、ちゃんと出来さえすれば、業謝ってやれるものなんですよ。ただし、先ほどドブ掃除って言った、ドブの汚れをどこまで自分の中に取り込むかっていう、これをそっくりかぶったら、体がもたなくなっちゃいますよね。だから、手のどこかで止めるとか、それができるかどうかが、業謝をやっていいかどうかの分かれ目だと思います。

 

中矢 横田さんは、それが出来ると。

 

C はい。

 

中矢 なんで出来るんでしょうか。

 

C それはわからないです。実際に自分で自分をやったことがあるんですけど、腕のところで止まるということはなかったです。丹田に溜まっていっちゃうんです。いったん丹田に溜まると、出せないっていうか、出しにくいっていうか。それでだいたい、腎臓が駄目になるんです。横田先生の場合は、肘ぐらいのところで止まっています。いつも見ていると、その範囲で止められるっていうことのすごさというか、これがやっぱり業謝をできる、できないの差だと思っています。

 

中矢 T先生は、横田さんならできるというふうに見抜かれたんでしょうか。

 

横田 最初に思い出すのは、T先生が僕の目を見た時に、「あんたは、わしが見てきたやくざの若頭と同じ目をしている」と。どういうことなんですかって聞いたら、「あんたは、師匠がこうやって言ったら、迷いなくそのとおりやるやろう」と言われました。じつは僕、子どもの時からそういう癖があるんです。だから兄弟子なんかによく言われたのは、僕にものを言うのが怖いと。右って言われたら、もう右のことしかしない。左って言われたら左。俺はこう考えるんだけどっていうのは、一切入れない。言ってみれば、C先生が言われたみたいに、業謝はおそらく、迷いがあったら駄目だと思うんです。

 

中矢 なるほど。先ほど空海の法力というお話がありましたが、そうした力も関係しているんでしょうか?

 

C 空海の法力とは関係ないですね。空海さんっていうのは、今で言うと、人じゃない。宇宙人のように、いろんなことをやるんだけれども、人々にこれをやったらいいよって残してきているので、行とかいろいろなものがあるわけです。これが空海さんの法力というもので、空海さんしか出来ないんだったら残しても意味がないんです。誰でも出来るからということで残しているんだけど、ただ、それをやるにしても、人が選ばれるという、そういう内容もあるということですね。

だから業捨というのは、本来の形から言ったら、誰でもできることなんです、そういった意味ではね。ただし、誰でもできるんだけど、誰もがやってはいけないことなんです。選ばれた人間以外は。そうしないと、要はいくら人を助けるためだと言っても、助けたことによって自分が死んじゃったら話にならないじゃないですか。先ほど話したとおり、自分のを自分でやっている限りは影響は出ないけれども、人のをやったら、人の業を全部飲みこんじゃうわけです。

極端なことを言うと、例えば、ある人が胃がんだったとします。業捨をすればその人の胃がんは治るかもしれない。その代わり、業を取った施術者が胃がんになっちゃう。そういうことの繰り返しになるから、誰でもやっていいというふうにはなっていかないと思うんです。

空海さんだったら、当然、業捨は出来たでしょう。だから、空海の法力という言い方をしたんだと思うんですけど、ただ、それは空海さんだから出来ることであって、弟子たちに出来たかって言ったら出来ていないし、それが出来るようだったら、ずっと継承されて残されるはずです。だから言葉として、こういうことですよと、伝承としてはたくさん残っていて、その中に業捨というのがあるんですよ。ただし、それは伝承として残されているだけで、現実としてそれは残っているわけではないということなんです。

 

中矢 そもそも業謝とは、肉体的な汚血を浄化させるとともに、霊的な汚れを浄化するというイメージでしょうか? もっと言うと、自分だけではなく、自分とつながりのある家族や関係者のことも含めて、浄化していくというような。

 

C はい、そうです。

 

最後まで人生をまっとうする

 

中矢 そうしますと、業謝をやって頂くには、やっぱり横田さんのところでしか出来ないということになりますか?

 

横田 T先生から言われた限りでは、そうですね。何人か、治療と併用してされているというのは聞いたことがありますけど、それは自分なりにやられていることのようです。

今、中矢先生が言われたみたいに、家族や関係者の業を浄化していくというのは、結局、皮膚を相手にしているからなんです。どういうことかと言うと、例えば、業謝的な技術と言っても、おそらく物質的なものを媒介しているんですけど、脳と神経と皮膚というのは同じ胚から出来るんですよ。解剖学的に、または発生学的に見ても、同じものなんです。だから、皮膚を触るっていうことは、脳を触ること。脳を触るということは、意識に触れるということ。もっと言うと、顕在意識じゃなくて無意識まで触る。だから無意識の領域のものが出てくるんです。距離に関係なく人間の意識というのは全部つながっていますから。そういう意味では、自分自身が大事に思っている人のものが出るとか、気にしている人のものが出るっていうのは、至極当然のことだと思います。

 

中矢 よく遠隔治療とかありますが、業謝の場合、やっぱり直接相手に触れないといけないということでしょうか。

 

横田 例えば、自分の息子さんのために業謝を受けるという場合もあります。危篤のお母さんのために自分が、とか。そういう場合ももちろんあります。

 

中矢 重篤の場合は、その本人を連れてくるわけにはいかないですもんね。

 

横田 はい。T先生は、人の寿命というのは決まっているから、これは変えられへんって言うんです。でも、亡くなる寸前まで元気に生きることは出来ると。そこは業謝をしていて面白いところだなと思っています。

僕の経験なんですが、ある方が新潟から大阪に来られました。業謝をしてみると、胸が真っ黒になったんですよ。じつは千葉にいる義理の姉が、肺がんの末期で、ICUに入っていると。なのでもし連絡があったら、すぐにとんぼ返りで千葉に行かないといけないと言うんです。その方はすごく元気な方で、2ヶ月に1回ぐらいのペースで、メンテナンスで業を取りに来られている方なんですけど、その時は胸が真っ黒になったので、これはお義姉さん、大丈夫じゃないですかって言ったら、案の定、3週間後にICUを出られたんです。その方の旦那さんは、製薬会社のお偉いさんで、良かれと思ってガンガン抗がん剤治療をやらせていたんだけど、出られたんですよ。半年後ぐらいに退院したんです。

それから1年ぐらい経ったある日、その義姉さんが朝起きて来なくて、家族が起こしに行ったら、眠るように亡くなっていたんですよ。結局死因はわからなかったそうですが、おそらくその方は、病院に入っていても2年後には亡くなられていたんです。しかしそうやって最後まで元気に生きて、眠るように逝けたっていうのは、やっぱりその“質”だと思うんです。寿命はどうすることも出来ないけれども、そこまで生きる“質”がすごく重要だって感じました。ずっと寝たきりで生きるのか、自分自身の大事な家族のために人生を全うするのか。寿命は同じでも、全然違うんだなって思いますね。

 

業は「生きざま」である

 

中矢 なるほど、確かにそうですね。誰でも業というものは持っていると思うのですが、誰でも業謝を受けた方がよいものなのですか?

 

横田 こういう話を聞くと、みんなが受けたいって思うと思います。でも、絶対に邪魔が入ります。

 

中矢 なんかわかりますね。その人に良くなってほしくないような霊たちが邪魔することもあるでしょうし。

 

横田 はい。また、人間の潜在意識の非常に浅い部分っていうのは、変化を怖がるんです。変化を怖がるのはなぜかというと、やっぱり今を守ろうとする。「恒常性の維持」というんですけど、その力は絶対に働くと思うんです。そこを突き抜けることが出来るかどうかというのは、僕は生まれ変わりの回数やと思うんです。こんなんじゃあ飽き足らない、面白くない、もっと先に行きたいっていう人は、行くでしょうけど。

例えば、中矢先生の研究されてる日月神示でもそうですよね。その中の真理に到達しようと思ったら、おそらくかなりの回数、生まれ変わって、いろいろな経験をしないと無理だと思います。だから、こんな面白い書物があったんだっていうレベルで終わるのか、それを実践していこうと思うのかっていうのは、僕は魂の質だと思っていて。これは年齢は関係ないですね。

 

C それと、業というものを、何か悪いことのように捉えてしまっている向きがあるんだけど、業というのは、言い方を変えると「生きざま」なんですよね。それが今生きているものなのか、過去に生きたものであるのか、それとも兄弟とか、親とか知人であるとかっていう、そこの差はあると思うんですが、業そのものは、そもそも「生きざま」なんです。

だから、その人がどういう気持ちでどういうことをしているか、変な言い方だけれども、だいたい業って言うと過去の業っていうイメージですが、その過去の業っていうのは、トラウマなんです。トラウマを抱えこんで手放せなくなったのが業という形になっているんですけど、基本的に、業の中には良いものと悪いものとがあって、けっして悪いものばかりとは限らない。結局、人生の中でどういうふうに一生を全うするか、この「生きざま」というものをちゃんとするのが業謝だと思っているんです。

<転載終わり>

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 以上は月刊「玉響」4月号に掲載されています。対談の後半は5月号に載っています。後半は源義経がモンゴルに渡り、その後はドイツまで行き、没したとのことです。義経はその奥義をチンギスハーンとアングロサクソンに伝授したそうです。(残念ながら「玉響」5月号も完売とのことですが、横田和典氏の著書「宇宙の魂導」に義経について記載されています。)

 

・宇宙の魂導

 

高橋 泰教授による新型コロナに関しての見解   フジテレビ「とくダネ!」

 

国際医療福祉大学の高橋 泰教授による新型コロナに関しての見解が、

フジテレビの「とくダネ!」で取り上げられました。

 

<要約>

「発症数と死亡者数を出すべき」     ・1つは、発症数と死者数を出すべき。
 発症数はステージ3以上を把握する。   ・2つ目は、新型コロナの感染パターンにあった感染モデルを用いた検討を行う。
 感染しない、無症状、軽い症状でとどまる人が少なくとも9割以上。   ・3つ目は、世代別リスクと社会活動抑制の弊害のバランスを考慮した新型コロナ対策を行う。
 0~29歳は重症化のリスクは低いため学校の授業やスポーツは元の形態に戻すべき。

 

 

20分ほどの映像ですが、自然免疫などの働きがわかりやすく解説されており

日本のコロナでの死亡者数がとても少ないことの理由が解説されています。

 

動画です ↓

https://youtu.be/Uw6RbyypgHY

 

 

業謝について  「玉響」4月号スペシャル対談(後半抜粋)


 月刊「玉響」4月号のスペシャル対談後半の抜粋になります。

月刊「玉響」4月号、5月号は売り切れとなったそうです。今後「玉響」を読みたいと思われる方は、下記より年間購読をお勧めします。私も12年間購読しています。

・ショップ玉響

 

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霊を抜くには逃げ道が必要

 

中矢 なるほど。横田さんは、1日に何人も見ても疲れないんですか?

 

横田 疲れないですね。でも最初は、やっぱり線香を焚かないと出来なかったんです。何て言うか、(皮膚に)色が出るんですよ。もう真っ黒な色が出たりとかするんです。で、それを見るとどうしても気が滅入るんですよ。人の痛みとか、本当に人間の声じゃない声が出たりする時もあるんです。でも、だんだんとやっていくうちに、何をやっても疲れなくなりました。線香って、面白いのは、本当に何かを絡め取ってくれる感じなんですよ。で、風として外に出してくれる。

 

中矢 その話を聞いて今思い出したのが、大本の出口王仁三郎は、煙草だか煙管だかを吸うんですよ。体に悪いのに、聖師さまはどうして煙草を吸うんですかと信者に聞かれて、「わしはこの煙に霊をつけて飛ばしているんや」と。そんなようなことを言っていたそうです。

 

横田 そんな感覚です。そう、まったくそのとおりなんです。その空間に出てくるんですよ、風のようなものが。今ではこんな密室でやっても、窓を開けなくても全然大丈夫なんですけど、出来るようになった時には、ちょっと窓を開けてその煙が出ていく流れをつくらないと、何て言うか、体を壊すことはないんですが、すぐれないんですよね。

 

C 多分、逃がす部分をつくらないと良くならないですよ。これって、整体でもなんでもそうなんですけど、基本的には、逃がす場所、出す場所を決めて、それを作ってからやらないといけない。例えば、除霊なんかをやっても、意味がないんですよ。要は、(霊を)抜くんだけど、抜いただけで、そこに漂うんです。そうするとまた戻ってくる。だから意味がなくって、実際には抜いた時に、ちゃんと出ていくように、逃げる道というか、流し道を考えないと意味がないんです。

 

中矢 日月神示に、「道つくってから追わねばならん。そなたは相手の逃げ道をふさいでギュウギュウ追い詰めるから逆恨みされるのぢゃ。逆恨みでも恨みは恨みの霊団をつくり出すぞ」(『月光の巻』第12帖)とあるんです。逃げ道を断って追い詰めると逆恨みされるんだと。それって人生における教訓かなって思ったんですけども、今のお話からすると、霊的な対処ということでも当てはまりそうですね。

 

C まさにそれです。先ほどおっしゃっていた煙草の件ですけど、これはこの世界に入っている人の共通点っていうか、煙草とお酒だけはやめられないんです。というのは、自分を浄化するために煙草を吸うわけです。要は煙草の煙に、今言ったとおり霊を付けて出すんです。これをずっと私なんかもやっていたんですけど、お酒の場合は、楽しむわけじゃなくて、コップ酒で、一気飲みです。2杯ぐらいやるんですよ。一気飲みでガッとやった時に、自分の体の中を酒で浄化するんです。だからお坊さんとか、ある程度除霊とかする人というのは、煙草とお酒は欠かさないわけです。これ、お線香じゃ駄目なんです。なぜかというと、お線香は吸い込むわけにいかないから。煙草のリスクよりももっと怖いんです。それこそ、病気になりますから。

 

岡本天明画「三貴神像」との縁

 

中矢 話は変わりますが、横田さんは、これも不思議なことですが、岡本天明さんの描かれた三貴神像の絵に、何かご縁があったそうですね。あの三貴神像の絵は、数々の天明さんの作品の中でも代表的なもので、私が最初に徳間書店から出した日月神示の本の表紙に使わせて頂いたんですね。三貴神というのは、アマテラス、ツクヨミ、スサノオのことですが、私も実物を一度か二度、まだ岡本三典(みのり)さんが健在の時に、天明展で見たことがあるんですけど、けっこう大きな掛け軸の絵なんですよね。あれがその後、行方不明になってしまっていて、一体どこに行ったのか、ずっとわからなかったんですよ。まあおそらく、誰かが持っているんだろうなとは思ってはいましたが、そうしたら群馬のとあるお寺さんにあるということで。そこのお寺さんと横田さんが、何かご縁があるんですよね。

 

横田 はい。2年ぐらい前、その時は東京じゃなく神奈川で業謝の会をしていたんですが、群馬にあるお寺さんの和尚さんから頼まれたという女性が来られていて、和尚が僕に会いたいと言っていると。僕は群馬には全然縁がなかったんですけど、三貴神という掛け軸を持っている人なんですと。それを僕に見てもらいたいって言っている。僕は正直、何のことかまったくわからなかったんですが、ガラケーだったんですけれども、写真を見せられて。ガラケーのその小さい画面からでも、それを見た瞬間、もうこの絵はタダモノじゃないっていうのがわかったんです。

 

中矢 わかりましたか。

 

横田 はい。すごい絵やなと。で、これはじつは岡本天明という方が描いたもので・・・って言われて。僕は大学が京都だったので、大本教には何回か行ったことがあったんです。岡本天明さんのことも、ある人から聞いていたんで、何か縁を感じてその翌月ぐらいに群馬にお邪魔したんですよ。普段は表に出されていなかったんですけど、僕が行った時に、掛け軸を掛けて頂いて、その前で業謝をやったんです。

 

中矢 そうなんですか。天明さんはいろんな絵を残していますけれども、やっぱりあの三貴神像の絵が一番強烈というか、エネルギーが高いと思ったものです。あの絵を撮った写真からも感じられると思うんですが、実物はやっぱりすごい迫力があって、実際、変な霊に取り憑かれちゃっている女の子が天明展に来た時に、その絵の前で憑いてる霊が出ちゃって、暴れたりして大変だったと聞いています。やっぱり、そういう隠れている霊が耐えられなくて出てきちゃうみたいなことがあったりした絵なので、すごい絵なんだなと思っていたんですけれども、いつの間にか行方不明になってしまった。その群馬のお寺に保管されていたんですね。

 

横田 そのお寺で1年ほど業謝会をやりました。そこでC先生と出会ったんです。

 

中矢 なるほど、そのお寺でC先生ともご縁があったわけなんですね。やっぱりその三貴神の前で業謝をやると違いますか?

 

横田 僕も一時、そのお寺の中で掛け軸をお祀りさせて頂きまして。最初はただ掛けているだけだったんですけれども、ある時から、これって掛けているだけやったら駄目だなと。ちゃんと祭壇を設けて──僕も伯家神道をさせて頂いた時があるので、その辺もひっくるめて祝詞を上げさせてもらったり、きちんとお祀りさせて頂いて、その前で業謝をさせてもらっていたんです。たしかに中矢先生が言われたみたいに、何か不思議な感覚、浮き出されるような感覚はあります。たぶん、熱量が高いのか、エネルギー的に汚れが浮き出してくるみたいな。

 

中矢 そのあたりの話も、『宇宙の魂導』に書いてありますね。これはAmazonでも買えるんですね。

 

横田 はい。

 

同じ霊的集団に突き動かされる

 

中矢 横堀さんは、横田さんのことを月刊『ザ・フナイ』で知ったそうで、それで業謝に興味を持って、受けに行ったそうですね。そこでは魂導っていう身体技術をされていたと聞きました。最初に聞いた時は、古い道の「古道」かと思ったんです。古武道とかの。

 

横田 もともと僕は少林寺拳法をやっていまして。道院長を今も現役でやっています。少林寺拳法というのも、じつは大本教とすごくつながりがあるんです。

 

中矢 そうなんですか。合気でしたら深い関係がありますが。

 

横田 少林寺拳法って、拳士が集まる場所を道場と言わず道院って言うんですよ。

 

中矢 ああ、道院。そうなんですか。

 

横田 あれは、世界紅卍字(こうまんじ)会(道教系の宗教団体「道院」に付随する修養慈善団体。戦前の中華民国及び満州において赤十字社に準ずる組織として活動した)から来ているんです。

 

中矢 少林寺拳法って、道院の別れなんですね。

 

横田 はい。だから少林寺拳法の拳士って、もともと指導者は黄色い卍を付けていました。今は卍ではなくなったんですけど。創始者は宗道臣という人で、大陸に渡って、おそらく出口王仁三郎とも関係があったと思うんですが、やっぱりアジアの平和がないとあかんと。一致団結させるという発想からきていて。だから当時は、大本の出口王仁三郎や合気の植芝盛平とか、野口整体の野口晴哉さん。あの辺の人たちと交流があった組織だったんです。

 

中矢 うちでも一時、野口晴哉のことを取り上げて、そのお弟子さんの金井先生という方の連載を載せていたことがありました。熱海の施療院に受けに行ったこともあります。でも、大本や世界紅卍会ともつながりがあったとは知りませんでした。

 

横田 野口晴哉さんは、甥っ子に少林寺拳法をやらせているんですよ。少林寺拳法の中に「整法」っていう技術があるんですけれども、それって野口整体からかなり影響を受けているんです。野口晴哉さん自身も武道の達人でしたしね。

 

中矢 相手を一瞬で脱臼できたりしたと聞きました。

 

横田 実際に脱臼させるっていうのは、技術としてはあるんですよ。それの真逆をやると整復できる。でも、それを相手と組んだ瞬間に出来るっていうのは、やっぱり天才だったんでしょうね。その野口晴哉さんもおそらく大本の出口王仁三郎の影響を受けていたやろうし、当時のあの辺の人たちは、霊的な集団としてすごく似ていると思っています。

 

中矢 そうですね。つながっていますね。

 

横田 はい。つながっているんです。僕はみんなが同じ霊的な存在に動かされていたような感じがずっとしていて。その流れで、魂導というのが出来たんです。

 

中矢 なるほど。今回の鼎談は内容も深くて濃いので、前編・後編に分けてお届けさせて頂きます。横田さんの魂は源義経だと、C先生が見抜かれたそうですね。義経は大陸に渡ってチンギスハンの師匠になったとも。そこら辺の壮大な話を、後編(5月号)の次回にぜひお聞きしたいと思います。


<転載終わり>

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 以上は月刊「玉響」4月号に掲載されています。対談の後半は5月号に載っています。後半は源義経がモンゴルに渡り、その後はドイツまで行き、没したとのことです。義経はその奥義をチンギスハーンとアングロサクソンに伝授したそうです。(残念ながら「玉響」5月号も完売とのことですが、横田和典先生の著書「宇宙の魂導」に義経について記載されています。)

 

・宇宙の魂導

日本人がコロナウイルスに強いわけ

 「ザ・フナイ」9月号の船瀬俊介氏の記事を抜粋しました。

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 「エイズ(HIV)」は遺伝子組替え技術を導入した最初の人工ウイルスだ。かつての東ドイツ、フンボルト大学のヤコブ・ゼーガル博士と妻リリー博士の共著「エイズの起源」(邦訳「悪魔の遺伝子操作」徳間書店)は、必読だ。

 そこで、両博士は、まさに命をかけて、エイズウイルスの正体を暴いている。それは、羊の脳を破壊する「狂羊病ウイルス」と「ヒト白血病T細胞ウイルス」を、組み合わせたものだ。両者を合体することで、羊だけに感染する狂暴ウイルスが、ヒトにも感染可能となった。

 このエイズウイルス以降、あらゆる生物兵器は、遺伝子操作技術によって、製造されている。それは、まちがいない。そして、インド、デリー大学など、数多くの研究者、研究機関が「新型コロナの遺伝子ゲノム配列には、4種類のHIVたんぱくが組み込まれている」と報告している。

 そして、それは、「同じコロナウイルスのSARSに組み込まれた」という。SARSについては、わたしは、かつて「SARSキラーウイルスの恐怖」(双葉社)を上梓している。そのとき、ロシア科学アカデミーの重鎮セルゲイ・コレスニコフ博士が衝撃事実を解明している。

 「SARSは、はしかとおたふくかぜウイルスを合成したものである」そして、多くの研究者が「コロナはSARSとエイズを合成したもの」と指摘している。よって、以下の連立方程式が成立する。

   コロナ=SARS(はしか+おたふくかぜ)+エイズ(狂羊病+ヒト白血病)

 これにより、「ファクターX」、謎の一部が氷解する。「日本人に、新型コロナ感染者、死者が少ないのは、なぜか?」

 「はしか」も「おたふくかぜ」も、日本人は子どもの頃に、よくかかっている。だから、集団免疫が完成している・・・・。そのため、SARS流行時も、日本人の死者が異様に少なかった謎も解ける。

 しかし、世界の政府、マスコミ、医学界で、「生物兵器」は絶対禁句である。

 

<転載終わり>

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 「ザ・フナイ」の船瀬氏の記事には驚きました。コロナウイルスが「はしか+おたふくかぜ+エイズ」というのですから。これが事実かどうかはわかりませんが、なぜか納得してしまいますね。日本人は「はしか」や」「おたふくかぜ」は子どもの頃に罹る割合が多いのは事実です。

 仮にコロナウイルスが生物兵器だとしても、大いなる大神の計らいではないかと思います。コロナ禍で大変な苦労をしているのは事実ですが、様々な気付きがあるのも事実です。人間も社会も大きく変化している真っ最中かと感じます。

 テレワークはやってみると案外便利だろうと思います。毎日満員電車で通勤しなくてもよいのは、嬉しいですよね。お客さんともZOOMで打ち合わせができるし、自宅での仕事も悪くはないと思っている人もいると思います。もっともテレワークができない職種の方もいると思いますが。

 コロナ問題はすぐに終息するとは思えません。長い付き合いになるのではないでしょうか。

 

悪もまた神の力の現れの一面である

 

 毎日暑いですね。昨日は戸建て用パイウォーター浄水システムのカートリッジの交換で、日向先生と昆野さんと共に中矢先生のご自宅へ行きました。一年に一度交換していますが、カルキなどでカートリッジはかなり汚れていました。その後、居酒屋で冷たいビールやおいしい料理をご馳走していただきました。暑い日に飲むビールは格別ですね (^^♪

 以前中矢先生の著書をご紹介しました。当ブログでもアクセス数の多い記事ですので、再度アップしたいと思います。

 

中矢伸一先生の著書より引用。

『そもそも「善」と「悪」というのは、何なのか。どういう基準で分かれるのか。善悪という捉え方は、ある一面から見た一つの見え方、現れ方であって、別の側面から見たり、一段上から見たりした時には、いちがいにそうは言えない場合が多く、極めて主観的なものである。
 日月神示にはそこのところが、端的な表現をもって喝破されている。読者はよくご存知のように、「悪を滅ぼす」という考え方そのものが誤りなのであり、「抱き参らせる」ことによって初めて消えるのだ、というのである。
 「悪」もまた神の現れであり、「悪」があるからこそ「善」が弥栄え、生長する。
 ”神の意思”として伝達されたこの考え方は、私にとって大きな衝撃だった。私がひそかに考えていたことが、ズバリと表現されていたからである。

 拙著「日月神示・二日(じし)んの巻」(KKロングセラーズ刊)で述べたように、日月神示の善とか悪とかいうものに対する概念は、シンプルではあるが、既存の宗教、とくに西洋で受け入れられている代表的宗教には見られないものである。そしてそれは、スウェーデンボルグの教説と、驚くほどの類似性をみせている。
 善と悪は、絶妙なバランスの上に成り立っている。左手と同じ長さだけ右手があるように、善と同じだけ、これに相応する悪が存在する。これは「善悪の均衡(もしくは平衡)」と呼ばれる。
 また、われわれ地上人の言う善とか悪とかいうものは、神の目からはないのだという。神から離れた、悪そのものの悪というものは、存在しない。地獄も同じである。相対から見た「地獄的現れ」はあるが、本質的には「地獄」はないのであり、地獄に行く者にとってはそれは地獄ではなく、天国なのだという。
 神は歓喜そのものであり、大宇宙は、善と悪の大いなる均衡のもとに、永遠に進展し、弥栄えゆく。
 そうしたことを、同著にまとめたわけであるが、改めて一部を抜粋してみよう。

 「善のみにては力として進展せず、無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現れの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、この行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる」(「地震の巻」第九帖)

 右の神示からもわかるとおり、神とは善であり悪である。また、真でもあり偽でもある。大宇宙はその大いなる平衡、つまりバランスにより成り立っているという。われわれ地上人は「善悪の均衡」の中に生きて(生かされて)おり、そこにこそ、地上人として生を享けた意義があるのである。
 私も過去に何度が引用しているので、読者諸氏にとってはご存知の神示であるかも知れないが、ここのところは非常に重要な部分なので、今一度よくお読み頂きたい。
 善のみの善、悪のみの悪というものはない。善悪ともの弥栄えるのが大宇宙の仕組みなのであり、ここに、「悪を抱き参らせる」ことの必要性が生じてくる。』



玉響対談 後編 その1 横田先生は源義経の生まれ変わり

 


<月刊「玉響」5月号より引用>

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 スペシャル対談 5月号

宇宙の理に通じる不思議な世界(後編)

横田和典×C先生×中矢伸一

 

源義経の魂を持って生まれてきた横田和典氏

横田氏との出会いを通じて、能力者のC先生が

東北に逃れた義経の「その後」の足跡に迫る

義経は大陸に渡り、チンギス・ハーンの軍師になっていた!

モンゴルは義経の軍略により世界の半分を制覇

そして織田信長は、本能寺で死んだのではなく

バチカンに赴いてローマ法王になろうとし

枢機卿にまで上り詰めていた!

驚くべき真実が次々と明かされる怒涛の後編

 

 

横田さんは源義経の魂を持つという意味

 

中矢 今月は、先月号の後編となりますが、横田さん、C先生、改めてよろしくお願い致します。前回は、横田さんのやっていらっしゃる「業謝」について大変興味深いお話を伺いました。ところで、C先生のリーディングによると、横田さんの魂は「源義経」だということなんですが、今回はそこら辺のお話から聞かせて頂けますでしょうか。

 

C 世の中に「○○○の生まれ変わり」という人って、けっこう多いんです。これは単純に考えてもらっていいんですけど、たとえば、イエス・キリストの生まれ変わりと言った場合、イエス・キリストは1人しかいません。だから生まれ変わりは1人なわけなんです。ところが、世界中を見ると、なんだかんだと、最低でも20人以上はイエス・キリストの生まれ変わりとされる人がいるのを知っています。

これはどういうことなのかというと、イエス・キリストが生きていた時の記憶というものを、分けてもらう形で持っているんです。ただし、一人一人がその一生の記憶を持っているわけではありません。要は、必要な部分の記憶を持っている。いわば、何かをするのに必要だから、その時にそれを思い出せればいい。

それがそうした生まれ変わりの記憶を持っている方々に共通していることですが、生まれた時からの記憶を持っているっていうのは、1人しかいないんです。そういう意味で、横田先生を見た時に、義経の記憶というものが全部整っていたので、ああ、この人は義経の生まれ変わりなんだな、と判断したんです。

義経の生まれ変わりという人は何人もいるんですけど、平家と戦った時の記憶しか持っていないとか、部分部分なんです。その人たちが生まれ変わりかと言ったら、記憶は持っていますよねっていうことだけで、生まれ変わりであることは否定しませんけれども、認めるわけでもないんですね、私の場合は。

 

中矢 そういう意味において、横田さんは源義経の生まれ変わりであることがわかったということなんですね。義経はよく大河ドラマでも描かれますし、「壇ノ浦の戦い」や「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」などは大変有名ですが、最後には兄である源頼朝に追いやられて、東国に落ち延びていきます。そこからが様々な伝説が生まれるわけですが、真相はわからないところですね。

 

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<引用終わり>
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 今年の2月4日に東京駅近くの会議室にて、横田先生と中矢先生、C先生の対談が行われました。私も収録に同席させていただきました。C先生は横田先生の著書「宇宙の魂導」にも登場される能力者です。
 C先生とは8年前に知り合い、個人的にもご相談をしたことがあります。C先生のリーディングによると、横田先生は源義経の生まれ変わりだとのことです。C先生は、当時の義経の感情までリーディングされていますが、すごいですね。

 対談記事は長いので、何回かに分けて紹介していきたいと思います。

 

玉響対談 後編 その2 チンギスハーンの軍師になった義経

 

スペシャル対談 5月号

宇宙の理に通じる不思議な世界(後編)

横田和典×C先生×中矢伸一


   
  

 

源義経の魂を持って生まれてきた横田和典氏

横田氏との出会いを通じて、能力者のC先生が

東北に逃れた義経の「その後」の足跡に迫る

義経は大陸に渡り、チンギス・ハーンの軍師になっていた!

モンゴルは義経の軍略により世界の半分を制覇

そして織田信長は、本能寺で死んだのではなく

バチカンに赴いてローマ法王になろうとし

枢機卿にまで上り詰めていた!

驚くべき真実が次々と明かされる怒涛の後編

 

 

明らかになった義経の「その後」

 

C 横田先生の記憶の中で一番興味を引いたのが、義経の最後のところなんです。歴史で描かれるのは、吉野で静御前と別れた後に、いきなりそこから逃避行になって、東北に行って亡くなったということになっているんですね。しかしどうしても辻褄が合わないんですよ。要するに、そこに行くまでの年数がずれているんです。

たとえば、吉野で別れてからまっすぐ東北へ行くんだったら、その年のうちか翌年には行けるわけです。ところが、そこには大きな時差があるんです。じゃあ、本当のところはどうだったんだろうと見ていった時に、最初にまず吉野で静御前と別れます。当然、静御前のことを義経は気にしていて、追われる身の自分と一緒にいると巻き込まれてしまうから、あえて離したわけなんだけれども、静御前にしてみると、捨てられたっていうことなんですよ。

結局、静御前は京都に戻っていく間に捕らえられて、鎌倉に連れて行かれるんです。静御前は白拍子(しらびょうし)(平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人)でした。この時、頼朝が静御前に、自分のために舞えと言ったら、それを断って、代わりに舞ったのが“義経恋し”という舞だった。怒った頼朝は、身籠っていた静御前の子どもが女の子だったら助けるが、男の子だったら海に沈めてしまうと告げます。結果として、生まれたのが男の子だったので、海に沈めて殺されてしまった、ということになっているんですけど、実際は殺されなかった。北条政子が、その子を不憫に思って匿ったんですよ。政子の部下のところに養子に出すという形で、ちゃんとその子は生き永らえたんです。

ただ、そのことを静御前や誰かに言ってしまうと、万が一バレた時に、後が大変なわけです。だからそれは黙っていた。結局、表向きには殺されたということになっているから、静御前は当然、意気消沈しますよね。その上、用なしということで鎌倉からも追い出されてしまう。そしてまた関西に戻ってくる。それが名古屋、正確に言うと岐阜なんですけど、そこにもう一度、義経が迎えに来るんですよ。

義経は心配しながら隠れ住んでいたのですが、そこから静御前と行動を共にするんです。その後、関ヶ原からずっと北に上って行って、敦賀に行き、敦賀から勝山に行って、それからまた岐阜に戻ってきた。そこの中居神社というところで越冬しているんです。そのことを書き遺した文書が残っており、正当なものとして確認されています。そうした文献と横田先生の記憶が一致するんですね。

義経と静御前はそのまま越冬して、飛驒高山から日本海に抜け、そのまま新潟を北に上っていくんですが、最終的に弥彦神社の手前に来たところで、産後の肥立ちが悪かった静御前は亡くなってしまうのです。この時点では、静御前と義経の2人だけです。

 

中矢 弁慶は、いなかったんでしょうか?

 

C 弁慶は、もう一人と共に奥州の平泉に行ったんですよ。頼朝に裏切られることがわかっていたから、義経が死んだことにしたんです、飛騨高山の時に。そして結局、弁慶たちも死んでしまう。

静御前もこの世を去り、弁慶もいない。周りに誰もいなくなって、これから自分はどうしたらいいかと考えた時、みんながそれだけやってくれたのに、自分が勝手に死ぬわけにいかないということで、生き永らえる選択をするんですね。これも、潔くないじゃないかとか、静御前を助けてあげられなかったという思いなど、自分の中ですごく葛藤するんです。

しかし、ここまで生かされた意味を考え、それを無駄にしないという選択をして、最終的には岩手から船に乗って、モンゴルに迎うのです。なぜモンゴルに渡ることにしたかというというと、平泉にいた時の馬術の先生がモンゴル人だったんです。その方はモンゴルと交易をしていました。そういうつながりがあったから、その先生のツテで、船に密航する形でモンゴルへ行ったのです。

 


チンギス・ハーンの軍師になった義経

 

中矢 そうすると、やはり義経はチンギス・ハーンになったんでしょうか。

 

C それは少し違います。義経はモンゴルで世話になるんですけど、やっぱり自分が生きているっていう証(あかし)を残したいというのがあったんですね。自分が今までいろいろな経験をする中で身につけた、戦術とかそういうものをやっぱり人に伝えたいし、残したい。そうするために選んだのが、その先生の息子なんです。その人物こそが、チンギス・ハーンだったのです。だから義経がチンギス・ハーンになったのではなく、その先生の息子の指南役だったのです。それを裏付ける一番の決定的理由というのが、チンギス・ハーンの戦の戦術が、義経がやっていた戦術そのものだったことです。

 

中矢 だからチンギス・ハーンは強かったんですね。

 

C そうです。チンギス・ハーンの戦術はどう考えても義経と類似する点が多くて、東北に逃れた後の義経の足跡などを考え合わせると、義経がチンギス・ハーンになったっていう話になってきますよね。しかし年齢的には40歳ぐらいの差があるんです。親と子ぐらいの差があるじゃないですか。義経はチンギス・ハーンの先生になり、最終的には軍師になっていったのです。

そしてモンゴルはどんどん勢力を伸ばしていきます。そうすると、今度は義経に対して、周囲のやっかみが出てくるんです。要するに、貴方は日本人でしょうと。モンゴル人じゃないよね。自分たちは戦ってるのに、貴方は先生で、自分たちの後ろにいる。なんでそんなに重要視されるんだと考える人が出始めた。そうした流れの中で、義経はチンギス・ハーンの子どもについたんです。それがフビライ・ハーンです。

チンギス・ハーンには子どもが4人いて、この4人が世界中に散らばっていきました。この時に「世界征服」という言葉が出てくるんです。世界征服を成し遂げたと言われる人物には、ジュリアス・シーザーだとか、いろんな人がいましたね。南下してローマ帝国までいったところで、「世界」っていうものを見た時に、最大でも4分の1、少ない時には6分の1とか8分の1しか占領していないのに、「世界征服」と言っている。

ところがチンギス・ハーンの場合は、世界の半分強を征服しました。征服者という意味では、歴史上最も征服した人なんです。その世界を子どもたちで4分割したんです。それをもう一回、一つにまとめる役を果たしたのがフビライ・ハーンです。とくにオーストリアからベルリン、今のドイツあたりを征服して、そこで生まれたのがアングロサクソンです。アングロサクソンという人種って、じつはモンゴルとの混血なんですよ。

 

中矢 そうなんですか!? でも見た目はどう見ても白人ですよね。

 

C ええ。でも元々は白人とモンゴルとの混血なんです。それまではアングロサクソンって存在しなかったんです。

 

中矢 白人とモンゴル人、つまりアジア人の混血が、アングロサクソンの祖先ですか。

 

C はい。それが中東に行くとアッシリアと言われ、アジアに行くとアーリア人と言われ、中国方面へ行くと漢民族って言われる。漢民族とは中国人じゃないんです。アングロサクソンが一番元です。じゃあ、そもそもアングロサクソンとは何かと言った時には、ドイツになるなんです。



続く・・・ 

 

 

「皇の時代」を読んでみました

 2012年にロイワ理論の会員さんから、「皇(おう)の時代」という本をいただきました。しばらく忘れていたのですが、先日本棚を整理していたところ見つけました。再度読んでみると、とても興味深い内容が書かれていたので、ご紹介したいと思います。現在の常識からすると、とても乖離した内容になりますが、未来を示唆していると思える部分もあります。

以下、抜粋になります。

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「皇の時代」の概要

「皇の時代」に内容は、著者である小山内洋子さんの師匠であるOさんという方が50年かけて探究した結果をまとめたものです。小山内洋子さんは師匠のOさんのもとで16年間学び、本に著したとのことです。この理論は当初はワイオ理論、現在はロイワ理論と言われています。

 

 宇宙の自転周期は5000年です。ヒルが2500年、ヨルが2500年になり、この5000年を2回転、つまりヒル2500年、ヨル2500年、ヒル2500年、ヨル2500年、計1万年を一単位として、地球人(宇宙人)が入れ替わり、現在の地球人は46代目になります。

 2500年ずつの時代ごとに、思想も自然環境もガラリと変わりますので、人類も、動物、植物、微生物から神様まで、生き物のすべてが交代します。

 そして、まさに今がヨルの時代である祖から、ヒルの時代の皇の時代へ大転換している最中です。

 1万年単位の地球人(生き物すべて)の人種は、どの代も縄文人と弥生人の二種類です。ヒルの時代は縄文人、ヨルの時代は弥生人になります。今の移行期間は両者が混在しています。

 

今、何が変化しているのか

1.環境エネルギーの変化

 ヨルの時代からヒルの時代への変化

2.宇宙人の交代

 ヨルの時代に活躍した宇宙人(神仏になっている先祖、先亡縁、肉体を持った人間、動物、ウイルスまで含めたすべての生き物)から、ヒルの時代に活躍する宇宙人への交代。

 

3.太陽光の変化

 宇宙エネルギーの変化に伴う太陽光線の変化

 

4.地上の物故(死後50年未満の方)、その他の生命対の増加

 これらが人間に憑依し、いろいろ悪さをしてきて、いまも続いているのですが、この変化期に徐々に眠りについています。

 

5.自分のカバーが薄くなる

 自分のカバーとは、オーラなど電磁気のことです。いままでは鈍感になるようにカバーを厚くしていたのですが、これからは、環境と自分が一体にならないと生きられませんので、

自然が敏感になるようにカバーを薄くしてくれています。もうほとんどの人が変化を終えています。カバーが薄くなったため、憑依現象が多くなっています。

 

6.細菌、ウイルスの活発化

 いままでの時代の体の機能や思考と、これからの時代の体の機能や思考は、ガラリと変わります。その辺かを体内に入ってやってくれるのが、細菌とウイルスなのです。

 

7.肉体改造

 今、述べたように、いままでの肉体は先祖、両親からもたったものでしたので、自分の肉体なのに、皆どこか気に入らないところがあったのではないでしょうか。しかし、これからは自分の魂の記録に基づいて肉体を自然は造り換えてくれていますので、他人がどう思うと、自分がうっとりとするような姿形になるそうですから、皆様どうぞ楽しみに待っていてください。

 

8.人心の変化

 人の心がガラリと変わります。

 

9.自然環境の座標軸のズレ

 

今は時代の移行期、転換期

 この時期はいままでの祖の時代の世の中のルールと、これから始まる皇の時代の宇宙のルールの両者相反するルールが混在していて、祖のルールで動いている人と、すでに皇のルールに従って動いている人と二分化されており、両者の生き方は真逆になっていますので、混乱が起きています。

 さらに、いままでうまくやっていたのに、ここにきて急にうまくいかなくなってきたと、戸惑っている方が多いのではないでしょうか。それは個人的なことであれ、政治、経済、事業、経営、家庭、教育、対人関係、健康などあらゆる面においてです。

 

皇の時代とは(自分らしく自由に楽しく楽に生きられる時代)

これから始まる皇の時代とは、ヒルの時代です。これからは天、つまり宇宙、空中のエ

ネルギーを活用していく時代です。この時代は、情報や知恵の価値が重視され、無から有を生み出すことができる時代になります。

 宇宙には豊富なエネルギーがありますので、使えば使うほど増える、いわば、「打ち出の小づち」現象が現実になるのです。

 さらに、いま彗星が銀河からいちどに数千兆円というお金のエネルギーを、地球に運んできていますので、お金のエネルギーが上がるために、物価は下がります。従って、祖とは逆の「出力経済」に移行します。使えば使うほど増えるとなると、使うのが楽しくなりますね。

 これからは、自分の魂の記録で自分が自分らしく生きられることと、すべての人の記録の中に、自分しかできない魂職(こんしょく)つまり、あなたがこの世に何のために生まれてきたのかという、役目が記されているのです。この魂職は、これから生きるすべての人に書かれています。もうすでに魂職に就いている人もいますが、まだ見つかっていない人も安心してください。そのうち必ず見つかります。

 

ウイルス、細菌は浄化の救世主

 風邪の季節になると、「ウイルスをやっつけろ」、食中毒というと「細菌をやっつけろ」と悪者扱いされています。

 ウイルスや細菌に限らず、自分の意に反した結果が出ると、自分は正しいことをしているのに、あの人のせいでこうなった、世の中が悪いから、社会が悪いから、政治が悪いから、国民が悪いから、他人が悪いからと、自分は一切責任をとらず、相手に責任をなすりつけてきました。

 このような思考は、いままでの祖の時代の特徴であり、「天動説的思考」といい、祖の時代のルールでした。

 では、本当にウイルスや細菌は、望まないのに勝手に入ってくるのでしょうか。しかし、ウイルスや細菌には、意思はありません。細胞には意思がありますので、宿主次第で、たとえば細胞が、そのウイルスの遺伝子を取り込むかどうかを決めるのです。

 たとえば癌ウイルスの情報が欲しいと思ったら、自分の細胞が癌ウイルスをつかんできて、感染させて癌を発症させるというメカニズムになっているのであって、ウイルスには何の罪もありません。あくまでも、ウイルス性の病気も、細菌性の病気も、自分自身が選びつかみ取っているのです。

 ウイルスは私たちの遺伝子を組み換えて、間違った方向に行かないように修正して、人間を正しい方向に導いてくれています。

 いままでの祖の時代に活躍したウイルスは、人間が鈍感になるような体質にするウイルスでしたが、いまは人間を敏感になるように変えてくれるウイルスが組み込まれつつあります。

 そのおかげでこれから次第に、誰もが超能力者になれるのです。そうなると、ほとんど脳を使わず、感性、感覚で生きられるようになりますので、とても楽になります。また、人間が近代化したのも、ウイルスの協力によるものです。

 私たちの食事量をみますと、昔は大食の人が、多かったのですが、これはご飯を直接食べないと、エネルギー変換ができなかったからです。

 しかし、いまは昔と比べて食事の量が減ってきています。それもウイルスによって、あまり量を摂らなくてもエネルギー変換ができるように、体質が改善されたからなのです。

 

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「皇(おう)の時代」 その2

 前回に続き、「皇(おう)の時代」の抜粋をご紹介したいと思います。

 今の常識からはかなり乖離していますが、納得できる部分もあります。

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■ 魂職(自分の天職)を探す方法

好きであること→自分の心にピッタリの道 楽しいこと→自分の脳にピッタリの道 楽であること→自分の体にピッタリの道 そして最後の結果として利益がでること→本当に自分の魂職であれば、必ず利益がでるようになっています。自然が認めている正しい道かどうかのチェック機能になります。いくら好きで、楽しくて、楽であっても、利益がでなければ、魂職ではないということです。その利益には、ハード的、ソフト的の二つがあります。一つはハード的即ち、金銭的な収入で、もう一つはソフト的即ち自分が思った以上に他人が喜んでくれるかどうかです。この二つが揃って、利益といいます。

 

■ 魂職(こんしょく)が見つかったら次にどうするか

1.相手から依頼があるまで待つこと。いままでの時代は競争をして奪い合うものでしたから、自分から積極的に売り込み先を探し、働きかけなければなりませんでした。しかし、これからは、必要ならば向こうから来ますので、自分から仕掛けないことです。

2.他人の真似をしない。自分の独自性を出す。

3.他人に対して気を遣わない

4.借金をしない

5.家の内外と身なりを清潔にする

6.物は寿命まで大事に使い切る。使えるのに買い換えない

 

 

■ ことばが引き寄せるもの

私たち人間は、自分はただの入れ物にすぎません。私たちの体内に入っているのは、肉

即ち、人、つまり見えない方々が入っているのだということが、研究によって解明されました。

 私たちを生かし、造り、動かしているのは、見えない領域の神、仏、その他の生命体や、もの、ことなど、自分以外の「他」という方々でした。

 このような見えない存在が、どのようにして、その人に付くのでしょうか。

 それは言葉です。言葉は正確には「言(げん)」といいます。

 言はどんなに小さな声でも、その言の波動は、80憶光年先まで広がっています。その波動を受けて、その波動に合った見えない方々が協力してくれるのです。

 よく言葉は大切だといいますが、よい「言」を発して、自然に合った生き方をしているだけで、放っておいても幸せの方向へいくのです。すると、この地上でも自分に合う波動の人が集まるようになっています。

 ですから、悪い言葉や、マイナスの言葉や、乱暴な言葉を使っていると、そういう波動の見えない協力者がつくとともに、仲間が集まってきます。良い仲間に恵まれたいと思うなら、自分の言葉に気を付けるのが良いでしょう。気の合わない人と嫌なのに、いままでのように損か得かで無理に合わせようとしていると、自分が異常になり、運が落ちることになりますので、無理せず、マイペースで自分に正直に生きることが大切です。

 

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都市部地価、コロナで暗転 下落地点が9倍に

 

 

<日本経済新聞より転載>   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   新型コロナウイルスによる経済活動の停滞が地価を押し下げ始めた。国土交通省が21日発表した4月から7月にかけての主要都市100地区の動向を見ると、下落した地区数は前回調査(1~4月)の9倍超に急増した。小売店や飲食店の集まる繁華街が外出自粛や訪日客急減の影響を受けている。地価の上昇局面は転機を迎えたようだ。 Image may be NSFW.
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地価LOOKリポートで銀座4丁目交差点を中心とする銀座中央地区の地価は横ばいから下落に転じた(東京・銀座)
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地価LOOKリポートで銀座4丁目交差点を中心とする銀座中央地区の地価は横ばいから下落に転じた(東京・銀座)

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地価は近年、都市部の再開発や年3千万人を超えた訪日客の旅行需要で上昇を続けてきた。公示地価(1月1日時点)は2020年まで5年連続で上がり、地方でも上昇の動きが広がり始めたところに新型コロナによる経済の急収縮が起きた。

地価の変調を浮き彫りにしたのは国交省の「地価LOOKリポート」だ。全国の主要都市を対象に、駅前の商業地や駅周辺の住宅地など100地区の3カ月間の地価変動率を年4回公表する。

下落した地区は前回4地区だったが、今回は9倍超の38地区と全体の4割近くに達した。上昇した地区は前回の73から1に激減した。下落地区の数が上昇地区を上回るのは12年4~7月以来、8年ぶり。横ばいの地区も23から61に急増した。

下落が目立つのは、外出自粛や休業要請で打撃を受けた繁華街の多い大都市圏だ。大阪圏では下落地区の割合が全25地区中17カ所と約7割に達した。地域を代表する商業地である心斎橋やなんばは「0~3%の上昇」から「3~6%の下落」に転じた。名古屋圏は9地区全てが下落した。

東京圏は横ばいの地区が全体の9割弱と、大阪と名古屋に比べて踏みとどまったが、東京を代表する繁華街は厳しい。

商業施設が集中する銀座4丁目交差点周辺の銀座中央は横ばいから「0~3%の下落」に転じた。調査にあたった不動産鑑定士は「小売店や飲食店の売上高が急減し、高額な物件取引が成立しづらくなった」と語る。

東京の歌舞伎町と上野は「0~3%の上昇」から一転して「3~6%の下落」となった。

今回の調査で持ちこたえた地方都市でも先行きを警戒する声が上がる。全2地区が横ばいだった札幌市について、北海道不動産鑑定士協会の斎藤武也氏は「繁華街に人が戻り始めているが、警戒感がある」と話す。

訪日客の増加が地価に与えた影響は三大都市圏と札幌など地方の大都市で大きい。その訪日客数は7月まで4カ月連続で前年同月比99.9%減となった。新型コロナの感染拡大を防ぐための入国制限が続いており、観光客については緩和の時期が見えないままだ。

三井住友トラスト基礎研究所の馬場高志氏は「供給過剰だったホテルは訪日客が途絶えたため需要も減った。こうした施設が地価上昇をけん引していた地域への影響が今後も表れる」と話す。

在宅勤務の拡大に合わせ、都心部のオフィス面積を減らそうとする動きも広がる。都市未来総合研究所の平山重雄氏は「オフィスの解約が少しずつ始まっており、大都市でより顕著だ。地価の停滞や下落につながっている」と話す。地価上昇のけん引役だった大都市に地価の下落要因が次々とのしかかっている。

  <転載終わり>   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    コロナ禍の影響で、東京や大阪、名古屋、神戸などの都市部の地価が下がってきているそうです。 繁華街に人が出ていないので、当然のように思えます。外国人も来ていませんし。 富士通は基本的には在宅勤務に変更したので、今後は事務所のスペースを縮小していくとのことです。    新型コロナウイルスは致死率は低いにもかかわらず、これほど恐れられているわけですので、1,2年で終息するとは思えません。テレワークでも、そこそこやっていけると気付いた富士通のような企業は、今後も増えていくと思います。営業といえば、とにかくお客さんのところへ行くのが当たり前でしたが、今ではZOOMでの打ち合わせが浸透してきています。最初は違和感があったとしても、やってみるとわざわざ客先へ行かなくていいので、便利ですよね。満員電車に乗る必要もないのも、とてもありがたいことだと思います。交通費もかかりませんし。    政府の働き方改革はほとんど効果がありませんでしたが、コロナのお陰で一気に変わってきています。日月神示には、「都会が鄙(ひな=田舎のこと)になり、鄙が都会になる」とあります。すぐにはあり得ないと思いますが、10年後は案外変わっているかもしれませんね。       ・日本経済新聞
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